嘘と本当

えらそうな人が言います。「ネットの情報は嘘が多い。だから信用しない方がいい」

ある人は言いました。「嘘を嘘と見抜けない人はネットを使わない方がいい」

 「ネットの情報には嘘も多いよ」と言うと、顔を真っ赤にして「テレビや新聞だってデマを良く流すじゃないか」って言う人がいます。もう少し賢い人は「ウェブニュースは新聞社のデジタル版をソースにしているから、結局新聞やテレビにも嘘は存在する」というかもしれません。

 まあ大手のマスメディアの人達は「ネット時代の我々の使命は正しい情報をしっかりと発信していくことだ」と口を揃えて言います。話したことのある某新聞社の記者は「こんな時代だからこそネットの情報が正しいかどうかのファクトチェックをする事が新聞社の使命である」と言っていました。

 ここで欠けている視点は賢者ならもう分かるかもしれませんね。それは、「自らの絶対的な正しさを証明できていない」ことです。マスメディアの人達は取材もしてるし、自分が発信する情報は正しいと思っています。しかし、それは誰かから聞いた情報にすぎません。メディアの人もまた事件の当事者では無いのです。

 もちろん、これまでに色々やってきた実績もマスメディアにはありますし、インターネット上にたくさん存在する記事よりもある程度信用はできることでしょう。そういった点で、マスメディアの役割はインターネット上の記事の正確性の担保というのは理解できます。ではマスメディアの正確性の担保は誰がしてくれるのでしょうか?彼らの言葉は神託でしょうか?いいえ違います。彼らは人間です。

 情報伝達に関して、100%の複製が行われ続けることはありません。誰かに取材をしたならば、取材された人の脳から口へ情報が動き、口にきた情報は音として周囲に拡散されます。その音を耳で聴きとった記者は脳でその情報を処理します。何言っているんだと思われるかもしれませんが、その間で情報が全く形を変えずに伝達されることはあり得るのか?という事です。そんなことはありません。発信者の意図とは多少なりとも誤差が生じます。それは仕方がないことです。

 皆さんは伝言ゲームをしたことがありますか?それを考えてみてください。スタートとゴールで単語が変わることが多かったでしょう。一つの単語を伝達させ続けるだけでも誤差が生じるのに、長い文章を同じように処理できるわけがありません。

 そのためのレコーダーと思われるかもしれませんが、結局聞き取りの段階で脳を経由するので、そこで誤差が生まれます。もし誤差を無くしたいなら、脳みそ同士を直接ケーブルでつなぐしかありません。当然そんなことやってられません。

 じゃあ僕らが今見ている情報とは何なのかという話です。概するなら「事実」と言っていいでしょう。しかし、「事実」が「真実」とは限らない、ということも併記しておきます。個々人が見る「事実」とはその人の経験と知識で構成されているものです。

 これが本当に正しいかどうかもまた分かりません。あくまで僕の経験則と知識を繋いだ一つの結果として書いています。ただ、「事実」と「真実」は別物である。という認識はあまり間違っていないのではないかな、とも思っています。なぜなら、「事実」は主観的観測であり、「真実」は客観的真理だからです。

 我々は「事実」の積み重ねで生きています。たまにそれらを持ち寄って齟齬を無くし、全員が納得するようになると「真実」に一歩近づきます。

 こんなことを考えていくと、ネットだ新聞だなんて考えるのが馬鹿らしくなっていきます。究極に正しい情報なんてこの世に存在しないという結論になる訳ですから。だから、我々にできることは事実を出来る限り収集してその平均値をとることです。新聞社で判定したり、ネットだからと判定する時点でナンセンスなのです。

 まあまあ長くなったので、この辺で一度筆をおきます。最後に一つだけ言い残すならば、「情報は取ったもん勝ち」という言葉でしょうか。しょうもない議論を一視点からするのではなく、できる限りの情報を集めてから議論をしませんか?きっとそっちの方が有意義ですよ。

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