「百人一作物語~かるたの展示ができるまで。~」序章
2022年3月17日午後0時半
新幹線は今新横浜駅を出発し、名古屋駅へと向かっている。
前日に飲んだ酒とカラオケオールの疲労を残しながらひとり新幹線内で文章を打つ。
私が一体どこへ向かっているかというと、2022年2月24にちから開催した百人一作展の後片付けのため京都へと向かっているのだ。
新幹線の車窓を眺める事にすら情緒を感じることのなくなった私は、疲労と新幹線で置き去りにした羞恥心が、私に追いつく前に、この物語を書き上げようと決意させた。
時をさかのぼること2019年9月某日
私は、高校時代の恩師、コードネームTTT 大先生に都内某所へと呼びつけられる。数日前に届いたメッセージアプリの文面には日時と場所の指定だけが書いてあった。その文章には、大した理由も説明されておらず、怪しさも孕んだ実に無骨な文面である。しかし私は指定された場所へ向かった。いわゆる密会である。
しかし、密かに執り行われているからと言って天下泰平を揺るがすような企みが行われるかといえばそうではない。私がこの怪しげな誘い文に二つ返事で了承するにはそれなりの信頼関係があるからだ。
さらに時をさかのぼること2000年4月22日
今後、鶉橋 央揮(ウズラハシ ヒロキ)という立派な画数の名をつけられた一匹のホモサピエンスがこの世に産み落とされた。私である。
その後順調に成長した央揮少年は、有り余る歪んだ正義感と腕力にものをいわせ自由と平和を愛す立派な少年へと成長した。
時は進み2013年4月
私は、私立G☆学園中学校に入学した。サッカーに対して小さな挫折をあじわい、ゆく当てもなく放浪していた私は、熱烈に新入生勧誘に力を入れている競技かるた部とであう。
これが競技かるたとのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトである。
小学校2年生の冬、同級生が皆お正月に開催される百人一首大会へ向け練習に励むなか、いつまでも覚えられないひらがなの羅列にしびれを切らし、当時の教員へ向けて札を投げ飛ばし、「こんなことやってられるか」と言い放った。そんな私は、暁星かるた部を青春の本拠地と定めた。決して、新入生勧誘に用意されたお菓子が目当てではない。自由奔放モンスターとしての英才教育を施された私に対し、当時の顧問であるTTTは、「ライバル校から内部崩壊を目的に送り込まれたエージェントだと思った。」と発言している。
そして、偉大な先輩方の背中を追い、遂に追い越せぬまま2019年3月10日卒業を迎える。
2019年4月3日
私は、武蔵野美術大学に進学した。
大学生活は、波乱の幕明けであった。
入学後すぐに武蔵野美術大学かるた会の代表の座を面識もほとんどない先輩から引き継ぎ、廃部寸前のサークルを立て直すことから始まり、入学間もない6月には、TTTという恩師から2020年東京オリンピック文化事業として開催する「小倉百人一首フェスティバル2020」のアートディレクターを依頼される。今考えれば入学したての未成年に仕事を回したTTTの采配は,私にとって大変ありがたいものであったが、当時の私の悪名高さと無能イメージから社会的に見れば正気の沙汰ではなかったのだろう。
第1章へ続く
次回予告
第1章ついに百人一作展の初期構想が!?