部活動の「地域移行」について
学校の部活動を地域で面倒を見てもらえるようにしましょう,という話が進み始めています。
これ,なかなか複雑だなあ,というのが私の率直なところ。
部活動を外部化することによって,学校が得るものもありますが,同時に失うものもあって,賛成・反対が,そう簡単に割り切れる問題ではないなあ,と思っています。
(1)教員の労働問題として
まず,教員の労働問題として見た場合は,待ったなしでしょう。ここで私が言挙げするまでもなく,土地勘のない部活を持たされたうえに生徒や保護者からの突き上げを食いながら報酬ももらえずプライベートの時間をつぶしていく,なんていう状況は,まあ,普通に人間の尊厳に関わる話だと思うわけです。
私自身も現任校に来てからサッカー部の顧問を8年ほどやりましたけど,別に自分からやりたいと言ったわけではなく,転勤した前任者の穴を埋めただけ。で,自分はサッカーのことなどさっぱりわからないので,正直,練習や試合を見ていても時間が過ぎるのが長く感じられました。
生徒は一生懸命やっていましたし,それなら応援してあげたいというのは,この仕事を長く続けるような人なら,わりとよくある心情なので,ひどく苦痛というほどのことはありませんでしたが。
幸いにして,サッカーを熟知した先生が主顧問としていらっしゃって,自分は事務方におさまっていればよい環境でしたし,生徒や保護者から何かを求められることもなかったのはありがたい限りでしたが,中途半端にスポーツ指導に関わった経験のある身としては,自分が指導できないもどかしさがストレスではありました。
そういうストレスや不快感や苦痛が軽減されるとすれば,業界の中の人としては反対する理由はありません。
(2)スポーツ・芸術振興の問題として
一方で,本気で部活動の地域移行を進めた場合,スポーツや芸術の振興という意味では,少なくとも一時的な衰退は必至なのでは?とも思います。
私が初任研で出会った人の中にも,部活動の指導がしたくて教員になったという人は珍しくありませんでした。そのことの是非は置いておいて,スポーツや音楽の指導者になりたいという希望を叶え,かつ食い扶持も稼げる職業としては,学校の教員はまたとない選択肢でしょう。
そういった志のある人が集まってくる学校という場所は,スポーツ界・芸術界にとってはすそ野を広げるうえで重要な役割を果たしてきました。
もし学校が,そういう場であることを止めれば,次の「受け皿」が整備されてくるまでは,その分野のレベルが下がることは覚悟せねばならないと思うのです。スポーツに関して言えば,特に育成システムの成熟していないマイナー競技などでは競技人口が減るでしょうし,それに伴い,オリンピックのメダルも減るでしょう。
元はと言えば,スポーツや芸術で食べていけるほどにスポーツ産業・芸術産業を育ててこなかったところに原因の一端があり,そこへの手当てをしないままに部活動を学校から切り離せば,業界が打撃を受けるのは当然かと思います。
一部には,社会体育・社会芸術(なんて用語はないと思いますが)できちんとシステムを作っていて,学校(教員)に依存せずとも維持することができそうなところもありますが(サッカーやテニスは例外的にうまくできている方だと思います),そうではないのが多数派だと思います。
それに,なんだかんだいって学校の教員は「教える」ことを生業としているだけあって,平均的に見れば,世間一般よりも教えることに自覚的でスキルも高い人が多いと思います。スポーツでも芸術でも,自分ができることと他人を育てることは別物ですから,教えるスキルを持った人を指導者として確保できるのは大きなことだと思うのです。
そういった指導者の確保という観点からは,部活動を学校の外に出すことには相応のリスクが伴うでしょう。
(3)教員にとっての研修機能の問題として
これはまったく個人的な経験に基づくことなので,どれほど一般化して言えるかは心もとないのですが,部活動の指導を通じて教員としての力量全般が鍛えられる,一種の研修機能が失われるという面もあるのではないかと思っています。
私は初任校でソフトテニスの指導にがっつり関わっていて,県専門部の役員もさせてもらっていました。そんな中で,強豪校の顧問の先生とも知り合いになることができ,その指導を間近に見る機会が多くありました。
強いチームを育てている先生というのは,単に専門的な知識があるだけでなく,それを中学生・高校生が消化できるようにかみ砕いて伝えたり,長期的に成長が加速するように練習メニューとして体系立てたりすることに長けています。しかも,個々の生徒理解に基づいて柔軟な教え方をするわけです。
そういった専門技量は,ソフトテニスに限った話ではなく,教科指導にもそのまま当てはまることが多く,私自身は,そういった優秀で熱心な先輩教員から多くを学びました。
もちろん,それは,私がたまたま競技経験のあるソフトテニスで顧問を持たせてもらえたからラッキーだったという面は大きく,仮に,それが未経験の部活動であっても同じように学ぶことができたかは定かではありません。
しかし,少なくとも,部活動の指導を通じて他校の教員との交流が促され,教員としての力量を鍛える機会が得られるという面はあるように思うのです。
部活動の外部化によって,各学校の内部でそういった研修機能が強化されるのであればよいのですが,そこは何とも心もとないところです。
その意味で,部活動の地域移行によって教員の専門スキルが弱まる危険性はあると思っています。
(4)生徒理解の問題として
そして,これがある意味で最も大きなことかもしれませんが,部活動を外部化したときに,教員は,生徒を多面的に理解する有力な手段を1つ失う,ということです。
授業で担当しているある生徒について,「え?あの子,部活ではそんなにリーダーシップ発揮するの!?授業ではすごく控えめな印象だけど!」などという会話を交わすことは,教員にはよくあることではないかと思います。
広い意味での生徒指導において,1人の生徒を多面的・立体的に理解することは必要不可欠です。良いことであれ悪いことであれ,ある生徒の言動について,その一面だけを見て賞賛なり非難なりすることは誰にでもできます。(学校に招かれてくる「外部講師」の方が,いとも簡単に初対面の生徒を叱り飛ばす場面に何度か立ち会っています。)
しかし,それなりに経験のある教員であれば,たまたま表面化した1つの事象の背後・水面下には,もっと多様な要因が複雑に絡み合っていることを前提として事態を理解しようとするものですし,そういった手間暇のかかる理解に基づいて生徒指導を行うものです。
部活動は,そのように生徒を多面的に理解する貴重な機会です。それを放棄したとき,単に業務が減ったといって喜んでばかりいるのではなく,より一層,生徒のことを理解しようと,意識的に努めなければならなくなるのでは?と思います。
このように書くと,私は部活動を現状のまま維持すべきと考えているように見えるかと思いますが,そういうつもりではありません。労働問題としては今すぐにでもどうにかしなければならない問題だと思っていますし,「不本意顧問」の精神的苦痛も放置してはだめです。
ただ,いきなり全放棄(というのは,現実的にはないでしょうけれど)という議論に飛ぶのは,これまで部活動の存在を前提として学校が機能してきた面を無視してしまうことになり危険な部分もあるのでは?ということです。
現実的には,各学校での部活動の数を減らし,1つの部を担当する教員の数を増やすこと,特に,安全面への配慮等からも,教員が適正な指導ができない部は設置しない,というようなところから始めるのがちょうど良いのではないかと思っています。
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