よくわからないこと(1)

英語教育・英語学習について,「定説」になっているけれど,個人的に納得がいっていないというか,よくわからないことがあります。

1つは「音読は意味理解の後で」。
これは,本当によくわからない。
「言葉」と「意味」を結びつける作業としての音読,という位置づけだからそうなるのだと思うのですが,「音読」という学習活動自体は,それ以外にも「使い道」はあると思うのですね。

私が教育実習や英語科教育法の授業で言っているのは,「音声・文字・意味の三角形を作れ」ということです。教科書などの教材はたいてい「文字」で提示されるわけですが,それと,
・どのように発音されるか
・どのような意味であるか
を結びつける作業をしなさい,ということです。

つまり,やるべき学習としては,
(1) 文字-音声の関連付け
(2) 文字-意味の関連付け
(3) 音声-意味の関連付け
の3つがある,ということです。

日本語で例を出すと,「廟」という言葉を知らない人がこの文字を見て抱く疑問は,
(1) 何て読むのだろう?
(2) どういう意味だろう?
のどちらもあり得るということです。
つまり,(1)の疑問を抱く場合,意味理解はさておき,その文字の音声化に関心があるわけです。

そういうわけで,意味理解を伴わない音声化は,決して不自然なことでも忌むべきことでもないと私は思っていて,自分の授業では,意味理解の前の音読は定番の活動になっています。

「そんなのとんでもない」と思う方は思うでしょうけれども,自分自身の信念としては「文字と音声のリンク(対応づけ)を確立するための音読」というのは十分にあり得る学習活動だと思っています。

また,それとは少し違う観点ですが,自分自身の特性として,英語を読むときに黙読で集中しつづけることが難しいことがよくあり,そのようなときには,ごにょごにょと音読しながら,半ば強制的に「文字情報を脳に送り込む」ような読み方をします。

そうなると,当然,「意味理解ののち音読」ではなく,「音読のち意味理解」「意味理解を発動させるための音読」という位置づけになるわけで,それを禁じられると,私の英語リーディングはかなり苦しくなってしまいます。

そういうわけで,私は,音読は,必ずしも意味理解を前提としなくてよいと考えていますし,大学生・教育実習生にも,「定説ではこう言われているけれど」と前置きしつつ私見を伝えています。

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