祖母と歩く
今日は祖母と5時間超えの散歩をした.そんな予定ではなかったけれど、そうなっていた.銀行で手続きをしたり、マックを食べたり、新しくできたフルーツサンド屋さんに寄ってみたり.日常らしい、暮らしのための散歩.
うちの祖母はとにかく喋る.何を話すわけでもなく、「ここの家は誰々さんが住んでいて...」「何十年前にはここにはボーリング場があって...」と何度も同じ道を歩いていても毎度よーく喋る.家にいても、寝ているか、本を読むか、喋っている.誰に聞いても彼女はお喋りだ.
「知っておいてほしい」そう呟いていた日を思い出す.戦時下で育ち、親に売られないように電車に飛び乗って上京し必死に働いてきた彼女の全てを理解できることはないけれど、強い想いは誰かに伝えたくなるものだ.そのことを、彼女の孫であることを誇らしく感じたい.そう思う日もある.話を聞きすぎて何もできない日には発狂しそうになる.嘘、している.それでも、彼女の血を引き継いで生きている1人としてはアイデンティティになりうる部分であることも確かであるわけで.メンタルの様子を見ながら、何十年と話を聞く.
だから、お返しという程にはならないけれど、私は今の文化の先導をしてみる.未だに固定電話しかまともに使えない祖母にLINEを説明し、クリームチーズを食べさせる.マックに行ってみたり、フルーツサンドを買う.注文方法や決済方法が多様化していく中で、興味だけでは文化に触れにくくなっているから.孫であることは、店員さんにとっても優しい.面白く易しい説明ができる店員さんに出会いづらくなっているから.心細くすることは簡単だけれど、私はまだ彼女に楽しく挑戦できる日常があってほしい.
私が歩くペースと大して変わらない速度で祖母は、周りをよく見ながらよく喋り、小さな歩幅で進んでいく.年々丸くなっていく姿を見つめながら、手を繋いでいた頃を懐かしむ.よくある人生の1シーン.それでも今はありふれている.そんな日.
次は何を紹介しようかな.そうして今日も、いつか思い出してほしい日を歩んでいく.