全てのものにストーリー。

あなたにも
わたしにも。
植物と分類されているこの「一人静(ヒトリシズカ)とわたしたちと何が違うのだろうか。

地球上の生き物としては「同じ」。
兼ねてから自分が植物なのだと感じてはいたが、まだ深く、ない。

「イベントをする」からと挨拶周りで近所巡りをしたのはすでに6年が経つ。
その時、まだ自力で歩けていた裏のおじいさんと話した。
彼は生まれた時からずっっとここに「居る」と言い、昔は小さな集落毎に「焼き場」があって、死んだら焼かれて地球に還るんだと教えてくれた。
その話を聞いて、もしかして人は足があって移動する「動物」であるが、結局はそこで生まれて、そこの物を食べてそこで枯れて土になる。
それは植物じゃないか?と。
今では集落毎に焼き場があなくなってしまったので、彼は先代達を継承できないもどかしさを感じているのかも知れない。

またまた、そんなことをぐっど考えたいた時から色んなことに心奪われてすっかり忘れていた。

自分にしか向いていなかった矢印が少しずつ「安心の周囲」に向け始められて、noteで目にする記事に変化が起きている。

一人静。
二人静の記事から読ませてもらったが、なんと悲しいストーリーが。
考察や文章運びの素晴らしさはEgg Seedさんの記事を是非。



親が子を思うこと。
そう簡単に「こうだ」と言えるものはない。
今、感じている「母娘の関係」に照らして考えみるに、、、

自分がこの一人静だとして、、、
自分がその「母娘」の母だとしたら、、、
自分がその「母娘」の子だとしたら、、、

寄り添う心の淵に辿り着きたい。

1人ひとりのストーリー。
ひとつひとつ
丁寧に。

素晴らしい記事をありがとう。

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