族おかんのぼやき。親と子って編
族かい!(笑)
続の間違いです😑
そうそう。
親子とは他人ね。
他人って「自分の所有ではない」というか、血のつながりがあるのは事実として、自分の人生の歯車的ネジというか部品ではない。そんな感じかな。
別物。
うーん🧐
所有物ではない。
なんと表現しようか。
思い通りに勿論ならないし、同じもの食べて一緒に暮らしていても、考え方も親からの影響が100%なので似かよるけど、一致なんて絶対しない。
頭の中そのままそっくりでは絶対にないし、もし同じだったらクローンじゃん。
父母を掛け合わせて、新しい命として生まれてくる。
ね、はっきり最初から「新しい命」であって、別物なんす。
元服15で自分で歩むまで保護が必要だなんて人は手のかかる生き物。
その瞬間に向けて、大人は「手を引く」ことを子育てだと思うね。
段々と、自分ですることの責任は自分でとる。ケツを拭くのは自分だって。
きっと、こういうことを思いながら33年きたんだろうな。
自分も高校生になって外でアルバイトした時に上の兄弟に習って、3万のアルバイト代から1万円を家に入れたりしていた。
3万を高校生がひと月で稼ぐにはなかなか苦労があったな。
時給750円とかの世界
郵便局の差し立てなんて、最低賃金で670円とかそんなんだったよー。
3万稼げたらいい方だったしねー。
それでも「1万円」と決めて家に入れてた。総額が1万だったらわたしの手取りはなかったということ。
当時、周りの同級生でそんなことをしている人はいなかった。
みなさん、高校生のバイト代巻き上げるなんてしないんだろーほど、裕福でいらっしゃるのだろ。
いゃー
うちは貧乏だからねー
ってか、そうするもんでしょ。っていう考えだったかな。しなかったら兄弟にしばかれてたかも(笑)
家にお金入れてるのと裏腹に、どうしても行かなくてはならなくなったそろばん塾(商業高校でさ)の月謝を使い込んでたりしたねー。
悪い子だー👎
なんか、その頃から「小さい頃からの寂しかった」ことが抑え込まれていたのだろうか、素行の悪さにふき出てきてたね。
良い行いと悪い行いが交互に出るというか。
ま、警察沙汰にならないくらいのどうでもいい悪さをしていたおかげで、さらなる押さえ込みに合わず?この場合の押さえ込みはきっと社会的な規範を押し付けられることなくってことかな。
いわゆる、社会不適合者ってやつね。
そのくせリーダーシップが取れるもんだからなにやら任されて、重さに負けてやらかす。
当時、ややこしい奴にはポジションを与えて、余計なエネルギーはここで出せ的なことだったのだろうな。
正解といえば正解だったね。
で、我が子に自分がした学生時分のアルバイト代を少なくても家に入れるという行為についてよく話た。
これは「働かざるもの食うべからず」の親や社会からの刷り込みでわたしも同じようにこども達に刷り込んだ。
というか、自分が外で働けてるのは、その基盤を整えてもらってるからでしょ?
それまでを支えてくれている人にちゃんと対価を払うことは至極当然のこと。わたしはこれをこどもたちに押し付けた。
だからかな?
長女も次女も長男も高校時代にバイトすることなく部活に励みよった。
で、長女が大学に進学した際、あまりの親への恩のなさに追い出した。
通うのも遠かったし、というか、遠いという理由で追い出すためにすぐ帰れるけど毎日では寝る時間なくなる距離の学校が歩み寄ってきたのだ。
わたしの気持ちが透けて見えてるのか?
なので、張り切って家を探し、18の女子を一人暮らしさせたのだ。
今思えば寂しかったろうね。
でも、きっとこの経験は彼女の人生の中で「よかった」に変わるはず!と彼女の寂しさなんてぶっ飛ばした。
いぇ、
感じないふりをしたのだね。
ま、4年間のその下宿代はわたしがヘルパーをして賄った。
彼女はその苦労を知らないだろう。
外勤がとてつもなく不出来でしんどいものであるなんて知りもしないしね。
卒業して全ての支払いを「自分で」に切り替えた。切り離したと言ってもいい。
その後、良心の呵責か、彼女の体調がわるくなり実家も広くなったことで(妹弟の嫌がる中)呼び寄せ、一緒に暮らすようになったのだ。
姉貴風を吹かすから下の2人から疎まれてたね。
わたしは、家賃を払えと話したよ、勿論。
でも、彼女は「周りの人に聞いたけど、親のもとで暮らすのになんで?そんなことしないよって聞くで、、、、」と。
それは周りが甘いだけよ、支払ってね。
と言うことで、気持ちよく支払いしないのは見えていたので、銀行口座のダイレクト化をし、引き落としさせていただいた。
その額、大学費用で下の2人が奨学金で返す分くらいにはなったんだと思う。
最後まで気持ちよく支払ってはなかったかもね。
実家にいる間も、
わたしとの戦いは凄まじかった。
実にひどい母で
酷い娘だった。
それが、今や、それぞれ別物の「人」として尊重できる間柄になっているわけだ。
ここまでくるには相当の気づきを要したわけね。
簡単な道のりではなかった。
でも、今振り返ると「箱理論」そのもので、人として見ると言うことに尽きる。
あの本を読んだ時に全くもっと早く出会いたかったと思ったもん。
でもね、渦中のときに出会っても読めないし、腹が立つだけ(笑)
色んな経験を積むことでしか「今」には至らないんですよ。
どんなノウハウがあっても、納得出来るようになるにはそこまでの道のりを経験しなければならないんだろうね。
彼女とのここまでのやり取りがあったればこそ、振り返ったときに反省も出来るし、あの時はこうだった、あーすればこーなったかも?とあの手この手を「違う見方」をして組み立てることもできるのだ。
これをなんのストレスもなく歩んだら、誰のなんの気持ちにも寄り添えない。
彼女が今支援学校の先生として障害者と言われるこども達の素晴らしい理解者になれているのはこれらの母とのストレスの賜物かもね。
壮絶なあの頃、それでも彼女は「お母さん好き」でいてくれた。
この母は「スキ」が分からなかった「分離したまま」でしたから。
彼女の「お母さんスキ」が一番の救いだったのかも知れない。
この繋がりが「家族」と言うものではないかな。
切っても切れない、心の深いところで繋がってる「相手を大切に想う」感情。
だから、深過ぎて逆に憎しみに表出したりするのだろうな。
ここに「所有」が絡んでるんじゃないかな。わたし的には確信してるけど。
おかげさまで「所有」から解き放たれてわたし達は、すっきりと「それぞれ」になれた。感謝。
ここに向き合える「学びのボタン」を押した自分に丸をあげよう。
なんにも正解なんてない。
自分たちが、だれかと出会って、恋をし、つがいになって、親になる。
そのもの自体に教科書はない。
みんな手探りで、教科書に当たるものは目の前の親しかない。
そう、だからみんな「ままごと」なのだよ。
「マネごと」。
何が言いたいかって?
誰も正解を知らない。
どんなことも、なにもかも、自分にとっての、正解は自分の中にしかないのさ。
自分が思うままに、自分に正直に何事もやればいいってこと。
わたしは「子育て」の教科書に振り回された。分からなくなった時に読んだ本や夫の姉らの一言に大変苦しんだ。
ま、そんなこんなで素晴らしい関係になれたと転じる境地にも辿り着けたから、感謝と言えるが、そもそも不要だったとも言える。
如何に!
そんな外野のこえを振り払って
自分から湧いてくる言葉をキャッチできるか。
それが、地球という母からの言葉なれば、周りの声など気にならないんじゃないかな。
本来、聞こえるエネルギーを感じることを忘れてしまったニンゲンは思い出すために何度も生まれてくるのでした。
ながー。
人の人生なんてドラマでさー
時間軸だけのストーリーがあって、書いたら止まらなくなるね(笑)
ここまで読んだあなたは勇者だ!
おめでとう😆
現在のうちらの関係はこちら⇧
いい距離感でございます。
半日経ちまして、読み返したならば、誤字脱字・意味不明が随所に見受けられましたので、少々修正いたしました(^^)
いつも、書き切っては見返すことなく「公開」ボタンを押して携帯電話から離れます。
そーするのは、なぜか。
外の意識と繋がって書いたり、脳みそ動かしてかいたらは、それはわたしじゃなくなるから。
なので、誤字脱字だらけなのです。
そんなものを読んでスキを押してくださった勇者の皆さん。ありがとう😊