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自分に電話をかけたらなんて話す?本当の自分は目の前にいたね。

生まれた自分になんて話します?
そんなことをふと思って、こないだメモ代わりに記事に書いた。

そしたら、今度は自分から自分に電話がかかってきたら何を話す?とか書かれた記事を見かけた。

似てるなあ。
でも、この場合イメージできるのは「今」だよね。

で、わたしの場合これがすぐ出てきた。

あーそーびーましょ!

こどもの頃、人の家の前でこの言葉を大きな声でメロディーつけながら叫んで友達を呼ぶ。
もちろんこの言葉の前には呼び掛けている友達の名前が入る。

逆にわたしを誘いに来てくれた時は

うずまーきちゃーん、あーそーびーましょ!

となるわけだ。
そしてら、はーーーーーーーい!と出かけていく。

こんなアナログ時代。
いなかったら残念。の世界。

でも大抵なんにも用事はないから遊びに出かける。

あーーー
しかし、わたしの場合遊んでばかりはいられなかったことを書いていて思い出してしまった。
洗濯ものを畳んで、お風呂に水を張って、、、、いろんなことをしなければシバかれるので。

話を戻して。

自分に電話を掛けたなら、、、
遊んで欲しいな。一緒に。
なんでもいいからさ。
しょうもないことで笑い転げて。
お箸転がして笑う年でもないけれど、一緒にいるだけでただ笑顔になれる。
きっと自分とだったら多くの言葉は必要ない気がする。
一番の理解者だと。


いいや、、、

こないだまで、真逆だった。
一番の否定者だったかも。

否定して
批判して
罵倒して
ダメだダメだと訂正ばかりしていたのは、他ならないわたし自身。
自分が一番めんどくさい。


どんなに「自己肯定感を上げよう」などと思ってもうまくいかない。
どんなに素晴らしい(?)メソッドでもなんにも効果を感じない。

それよりも奪われ感や、またやってしまった感を積み重ねてしまうだけ。
ほかの人はこれで成功しているのに何で自分はうまくできないのか。


そんなわたしがこないだまでのわたし。

では、今は違うのか?
ハイ、自分が一番の理解者だと思えるようになった今、大きく違うとはっきり言える。


どやって抜けれたのか?


本当の自分に出逢えたから。



本当の自分って?


自分がADHDかも知れない?に出逢い、自分がうまくやれないのは自分のせいではなくて脳の機能なのだと知ったこと。
出来ないことを頑張って、本当の自分を消そうとしていたのだ。
そして残ったのが「本当の自分」だったのだ。



自分の特性を知り、認める。


一生懸命に何者かになろうとしていた自分を「見つけられた」とき、無理に顔を上げさせようとしていたのは自分だった、、、ごめんねって言えた。



自分の特性を知ったことで、自分が一番自分を否定していたことに気づけた。


もし、自分が障害者枠に抵触していることを知っていたり、気づいていたりするならば、あなたはもう「本当の自分」を手に入れかけているのかもしれない。
障害者と書くと語弊があるかな。
全部「特性」だからね、自閉的な人なんていっぱいいる。
特性、個性、治さねばならないことじゃない。わたしは強くそう思っている。


実はおめでとうの世界かも。
ただ、受け入れるだけでいいのかも。
悪いことなんだという刷り込みをわきに置いてみる。



その他にも、自分が苦しんでいることそのものに対して、それは何基準で装備しなければならないと思っているのか?本当に欲しいものなのか?
それがナチュラルに自分でいられることなのか?
継続させるためには体を緊張していないといけないことは不自然じゃないか?

不自然だと思えることがあるならば。


仮定してみる。断定でなく、仮定。

もう目の前に「ほんとの自分はある」のかもしれない
もしそうだとしたら?
ただ、見えてないだけかも。
見ようとしていないだけかも。

目を開いてみてみよう。
嘆く必要なんてない。
その目に映るのは自分自身のそのまんま。


事実、わたしは生きている。


抱きしめるその体は自分と一緒にここまで歩んでくれた誰よりもそばにいてくれた相棒でしかない。


そんな自分に電話してなにを話す?


出逢ってくれてありがとう。
わたしでいてくれて、ありがとう。
わたしがわたしでよかった。
あなたが、わたしでよかった。
初めまして。

なんかに乗ってるみたい😆

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