安心できる場は「知ってくれている」からかも
今、九星気学のセミナーで出会った先生のお店にお手伝いに行っている。
なんで、こんな若くないおばさんを採用した?
というか、選んだの?
とまあ、考えたわけだ。
セミナーでわたしの生年月日時間も伝えてある。
だから、わたしの「取説」は先生の手の中。
自分の命式を納得していないにしても、基本その命式を持っているのだと。
そっか、全て知っている上で「わたし」を選んだんだよね。
なら、気負わずまんまでいいのか。。。。
と、知らない場所に小旅行気分で出掛けて2日。
昨日なんても楽しくおしゃべりにおかずも作って食べさせてくれるコーヒー淹れてくれるわ。
あなたと居て楽しいって。
初日に聞いたもん、もしかしてわたしを選びました?って。
あのセミナーは公募の面接だったみたいだ。
色々と話す時間がたっぷりあって、作業しながら話していて、先生が欲しかった人材がわたしのようだ。
出会いって、おもろいね。
で逆にね、わたしの深部を知っていてくれてると思うと、何も演じなくて良いのだ。
だから、本当に「可愛いわたし」で要られるのだ。
素直にごめんもありがとうも言えるし、そこはどうかな?的なこともすらっと😁
その自然なわたしの振る舞いや、電話対応などを気に入ってくれテイル。
なのでお互いに心地の良い空間なのだ。
これは安心の場と言える。
ふーん。
知っていてくれているということが安心に繋がるんだ。
欲張らず、ただ、そこにいる。
それだけで安心できるってすごいね。
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