血の気の引く思いでイラストを描いた
「クライアント様の言う指示はこういうことであっているかどうか」
それに気づける時もあれば、気づけないこともあり、合っている合っていないの本当の正解を知っているのはクライアント様である。
次、間違った解釈のものをお見せした時に、「本当に全然理解力がない、文章を読んで理解しようとしていない」と再び言われてしまうのが怖くて、手汗がびっしり止まらなく、動悸、食欲不振、指先が震えるという状態になるくらい、自分では緊張感をもって取り組んだ。
「そういう勉強だと思って」という言葉があるが、今回はまさにそうだった。まさに言葉の通り、自分自身の勉強になった。自分を見つめ直すこと、過去、逆の立場だった時に、(メールで相手に伝えないにしろ)同じことを思ったのを思い出した。
今回のことで思ったのは「自分の非を探す」方が、自分自身のためにもすごくラクだった。あまりやりすぎると、「自分が全部悪い」と追い詰めてしまう人の体験談のようになってしまうと思うが、私の場合、「自分が誤解されている」という苦しみから抜け出すためには、「こういう行動がいけなかったんだ」と非を探し、認め、相手に謝罪することで解消されてきた。
その出来事で、すっかりお腹を壊してしまう自分の弱さも知った。
「顔の見えない相手」「一生付き合っていくわけではない」「暴言を吐かれたわけではない」相手に対しても、そのやり取りに関してひとときも忘れることができないくらい悩み、恐れた。恐れている間、心は回復しなかった。
「自分のこういう行動がいけなかった」を自分で見つけたときに、初めて心が回復してきた。それでも、修正したイラストを送るときは、キーを叩く指が震えた。
いい勉強になった訳だが、日常生活において精神衛生上よくないキッカケがまた起こるかも知れない。以前twitterで見た、
「好きな絵を描きなさい。嫌いな絵を描いてそれが仕事になったら、ずっと嫌いな絵を描かなければいけなくなる。好きな絵を描いて、それが仕事になればずっと好きな絵を描いていられる」と。
理想論だ、夢見がちだ、非現実的だ、という意見ももちろん見られた。しかし、「ほんとうだよ」と書いてあった。
お金を得るために焦っていた。プレッシャーを感じていた。イラストを描く、という大きな部類の中でも「やりたいこと」では無いのは確かだった。
私は、今後はクラウドソーシングサイトでのイラストの仕事はやめることにした。
そして、pixivや登竜門などの、イラスト関連コンテストに応募することに重きを置くことを決めた。自分の持ち味で描けるし、(決まりはあれど)自由に描ける。当選しないつらさもあるだろうが、それに向けて描いたものは当選せずとも、人に見せられるものになると思う。
実際、いま、pixivや登竜門でやってみたいコンテストが複数ある。でも、(クラウドソーシングでのコンペもそうだが)すぐにお金に繋がるものではないと思い(当選率も含め)後回しにしていた。プレッシャーが、クラウドソーシングサイトでの活動を私に強いた。結果、いろんなことへの私の元気を削いでしまった。
近いうちに、主婦向けのパートも始めるつもりだ。(フリーランスではなく、フリーターと呼ぶようになるのか?)固定されたいくらかのお金は(当然のことながら)必要だ。それでも、1か月のうちに3週間は自由な時間がある訳で、その時間でイラストを描くつもりだ。
仕事を辞めて年度が変わった4月、私が決めた、今の方向性である。
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