大晦日に色鬼っ!?
新年を迎える。
「ただ月をまたぐだけ」と思う人もいれば、
「来年こそは成功してやる」と意気込む人もいる。
12月31日の早朝、いつものように目が冷める、日が昇っているのかもわからなかった、多分昇っていないと思うけどカーテンが閉まっているのでどちらでも良かった。
ただ昨日までの朝と違っているのは、目覚めた時にSNSやゲームのログインをするのではなく、ふと世の中の事を考えてみた。
「このまま何事もなく仕事を納めて、正月を迎えて、これまで達成されたことのない目標を立てて次の年を迎えるけど。世の中の人達はどんな思いで過ごすだろう?」
僕がこのような事を考える時、真っ先に思い浮かべるのが子どもたちだ。 しかし実際殆どの子どもたちは何も考えていないだろう (何も考えていないというのは失礼か)だけどそれでいい。
「カウントダウン誰と過ごそそう?」とか「連休中誰と遊ぼう」
「お年玉もらえるかな?」とか「宿題どうしようとか?」
これらはある意味、前向きな思考だと思っていて。それとは逆に
「ああ、最悪だ、どうせ来年も今の現実からは逃れられない」
なんて希望や救いが無いような事を考えてしまっている子供もどこかにいるんじゃないかと思ってしまう。(これを思うと本当に辛くなってくる)
大人になった今でも大きな壁にぶちあたった時や大きな災難に見舞われた際、世の中全てが敵に見えてしまう時がある。
ではそんな思いをしているのが子供だったら?
子供にとって、身を置いているコミュニティーがその子にとって唯一の居場所でありよりどころ。たった一つの世界。だけど裏を返せばそこは逃げ場のない世界。そしてその中で共生する者たちが敵になってしまう恐怖が常に付きまとっている。
*
あなたは色鬼や氷鬼を覚えているだろうか?
(ご存知ない方もいるかもしれないけど説明は省かせてもらいます)。
これらはよく知られる鬼ごっこに、逃げる側が使える無敵状態。
つまり安全地帯を与えた遊びであるわけだが、
このルールのおかげで、走るのが苦手な人、背が低い人、年下の子、性別、違いがあってもそれぞれに合った遊び方(戦略)ができるのだけれど、実はそのおかげで皆がおもいきり楽しめたりもするのである。
安全地帯があることで、いつもより少しチャレンジできたり、安心することができる。
なんならずっと安全地帯にいることで戦いを避ける選択肢もあったりする(ルールにもよります)。
僕は子供達に伝えたい、 「君の生きる世界には必ずこの安全地帯があることを」。
世の中にはね、君が本当につらくて、かなしいおもいをしていて、今まさに味方が君のそばにいなくて、目も耳もいつもより、うまくうごかせなくなっていて
「サイアクだ、どうせ今のつらいことからは逃れられない」って思ってしまっているのであれば、その時はまよわず安全地帯を探して欲しい。
安全地帯がどこにあるかって?
それはね、君につらいおもいをさせてる人いがいの大人が必ず知っているから。
普段あまり話したことのない先生でも、文房具屋の店員さんでも、駅員さんでも、コンビニの店員さんでも、警察官でも←オススメ
本当に辛くて苦しいんだって事を、どうか素直に話してほしい。
*
なんて事を考えてしまう。…なにもしていないくせに、、
僕にとっての幸せは、子供が子供らしく迷うことなく育ってくれること。
それは何かをしてほしいという希望ではなく、どんなことにもチカラいっぱい取り組んでほしいということです。
そのためには、つまずいてしまっても安全地帯が必ずあることを最初から知っていてほしいし、そんな社会にしていかないといけないと思っています。
ちなみに最初に話した「日が昇っているかいないかはどうでもいい」って話なんですが。
どうでもいいってのは、僕は太陽が必ず昇ってくるって知っているから。
その瞬間、太陽が見えなくっても必ず太陽はそこにあって、いつものように暖かく照らしてくれるのがわかっているからです。
以上、最後まで読んでくださいましてありがとうございます
あなたとご家族が穏やかな新年を迎えられるよう心よりお祈り申しあげます。 2020年12月31日 卯月 貴弘