仁道 渦(JINDO UZU)

絵画作品を制作しています。 壁やへのへのもへじをよく描きます。 「アートを社会の歯車に」をスローガンに、アートが社会の中で役割を持ち自立するアートムーブを成立させる為、 販売利益は活動継続資金を除いた 利益の一部をコンセプトに合う団体への寄付することを予定しています。

仁道 渦(JINDO UZU)

絵画作品を制作しています。 壁やへのへのもへじをよく描きます。 「アートを社会の歯車に」をスローガンに、アートが社会の中で役割を持ち自立するアートムーブを成立させる為、 販売利益は活動継続資金を除いた 利益の一部をコンセプトに合う団体への寄付することを予定しています。

最近の記事

11月19日(日)ミンナイイネ!展開催に際しての自分語り

2023年11月19日(日) ミンナイイネ!展 を開催します。 今回は ルッキズム(外見で自他をジャッジすること)の展示。 ルッキズム  という言葉にしてしまうと 「意識高い系」なんて思われたり「自分には関係無い」と思われがちですが、 意外と この世の全ての人に 多少なり関わる話で、「生き方」に通じていく話だと思っています。 「なぜ この展示の開催を考えたか 」 などを知ってもらうため 自分語りを少しさせてもらおうかなと思い 今回文章にしてみました。 私の人生での

    • エゴイズムの根源のお話+おしらせ

      「あんたが生まれた時 お父さんは私の友達と朝まで一緒に居たのよ」 「私が生まれた日の話」 をする時、 母は決まって苦々しい表情と共に そう話した。 私は当時「生まれた日の話」に輝かしい期待感 を抱いていて、母の渋い表情 とのギャップに違和感を感じながらも その言葉の真意が分からず困惑したのを覚えている。 度々聞かされるその話は 意味は理解できないのに 聞く度に妙に胸が不快で 、 なにか奇妙な呪文のように感じた。 どうにも頭にこびりつき 何度も繰り返し考えていたので

      • 第1回クリスマスのExhibit in Society(社会の中の展示)の企画を終えて🎄

        クリスマスの時期に合わせて、 私が目指すExhibit in Society(社会の中の展示)という概念を小さく実現してみるプロジェクトを実行した。 一連の循環を達成し企画が終了したので ここに備忘録としてまとめておこうと思う。 Exhibit in Society(社会の中の展示)とは、 以下の条件を含んだ概念である。 ・Exhibit in Society(社会の中の展示)は、 社会から得た価値や社会の様相を【変換】してアートを作りあげ、 アートが社会から得た価値を

        • こうして時代を獲ろうと思う。(具体的な話)

          私のひとつの大きな野望を話す。 私は 【子供を育てる絵】を作りたい。 子育てしている情景を描きたいというわけではない。 私の絵が どこかの子供を育てる。 そういうようなことをしたい。 それをムーブメントとして広めて、 いずれ【森を育む作品】や【カンボジアに井戸を作る作品】などができてもいい。 今 アートの役割のひとつは、 【直接 現実の社会問題に手を出すわけではないが、問題提起をすることや 主張を視覚的に表現すること】だと語られる。 私もそれはアートの大きな存在意

          【Share the smoke】 作品解説というにはあまりにも長ったらしい独り言。

          私は めちゃくちゃタバコが好きだ。 タバコという存在が好きだ。 このご時世に、こんな事は言って得することがひとつも無い。百害あって一利なし。 出来ればしれっと隠しておきたい。 実際身内には隠しているため、絶対にこの文を読まれたくない。 しかし この作品が頭の中に生まれたのが 池袋の喫茶店の喫煙所で換気扇に吸い込まれるタバコの煙を眺めていた時なのだから 白状しなければ語り始めることが出来ないのだ。 その時私は、喫煙所の天井の換気扇に タバコから絶え間なく立ち上るケムリと

          【Share the smoke】 作品解説というにはあまりにも長ったらしい独り言。

          「HARAI / 祓い」 作品解説と言うにはあまりにも長ったらしい独り言。

          これは全人類に向けた、 「イタイノ イタイノ トンデイケ」 幼い頃、私の育った家庭環境は素晴らしいものでは無かったし、お世辞にも「温かい家庭」などと呼べるようなものではなかった。 しかし 記憶の隅っこで、時々思い出したくなる記憶も有難いことにいくつかある。 幼少の私は、親から絆創膏を貼ってもらうことが好きだった。 血も出ていないような小さな傷でも、自分で傷だと認識した途端なんだか やたらと痛くなってくるもので。 そして痛い痛いと 傷口を庇いながら訴えて、 絆創膏を貼

          「HARAI / 祓い」 作品解説と言うにはあまりにも長ったらしい独り言。

          売らないアートで生きるには(思案中)

          ここ最近は「売らない」ことに興味がある。 アートを生業にする。 絵で食う。 などと言うと、 多くは「どう売るか」「いくらで売るか」というような話になる。 私はこの構造に疑問を持った。 というか、この構造“しか”無いように語られることに疑問を持った。 何においても、目的を達成するためのルートが 1つしかない という事は極めて少ない。 王道、邪道、成功率の差はあれど 大体はいくつものルートが有り それぞれ自らに適正があるルートでゴールを目指す。 では「アートを生業にす

          売らないアートで生きるには(思案中)

          仁道渦 と名乗るワケ

          私の名前は仁道 渦(じんどう うず)です。 通称うずまきちゃん。 もちろん本名じゃない。 本名ではないということは、自分で自分を改めて命名するという作業をしたということで。 自分でつける名前にはやはりそれなりに思い入れが籠る。 それでどうしてこの名前に決めたのかを書いてみることにした。 今まで 絵を描くということは、途切れながらもなんだかんだずっとやってきた。 しかし現在の動きは「絵を描く」だけじゃない。 アートという世界にもっと入り込み、外側の世界にもはみ出して、さら

          仁道渦 と名乗るワケ

          「ゲシュタルトの祈り」が好きって話

          「ゲシュタルト崩壊」という言葉は割と多くの人が知っている言葉だと思う。 同じ言葉などを繰り返し書いていると「あれ?こんな文字だったっけ?」となる よくあるあの現象。 では、「ゲシュタルトの祈り」はどうだろう。 たぶんほとんどの人が全くピンとこない。 それで恐らくこう思う。 「ゲシュタルトって何???」 ゲシュタルト  はドイツ語を語源とする「形態」という意味の言葉で、「人間が認識する、全体性のある構造」を指す。 なんのこっちゃ。 【人間は個々の情報を認識するのでは

          「ゲシュタルトの祈り」が好きって話

          ファンアートに着手した

          先日、村上隆氏のインタビュー記事を読んでいた際に「花と骸骨は生と死を表している。村上隆のメメントモリである。」という文章に目を引かれた。 メメントモリというのはラテン語で 「自分がいつか死ぬことを忘れるな」「死を想え」というような意味で、つまり 生きながら死を想う、個々人の死生観を問いかける ようなものだと解釈している。 それ以来、「では私のメメントモリはどんなものだろうか」と考えるようになった。 死生観として強く出るのはやはり1番は宗教だろう。 私の家系は一応 浄土真

          ファンアートに着手した

          Bullet hole wall(弾痕の壁)

          ▫️この作品の売上は、制作継続の為の費用を除いた【利益の一部】を【国内の児童支援団体に寄付】致します▫️ 画材 木製パネル、アクリル、スプレー、ステッカー サイズ F20号  72.7×60.6(cm) 解説 制作テーマである 「加害の傷/被害の傷」、 コンセプトである 「≒(ニアリーイコール)」「侵略と融和」、 「日本人女性」を割り当てられ生きる自分自身のルーツ、 今なお続くウクライナとロシアの戦争から日々受ける影響、 その全てを画面内に共存し昇華できた1作

          Bullet hole wall(弾痕の壁)

          title「加害の傷/被害の傷(幻想を壊すこと)」

          ▫️この作品の売上は、活動継続の費用を除いた【利益の一部】を【国内の児童支援団体】に寄付致します▫️ 画材 キャンバス、アクリル、スプレー、ステッカー サイズ 縦43×幅50×厚2(cm) 解説 「加害の傷/被害の傷」は私の制作活動そのものの大きなテーマでもあります。 今作では、少し素行の悪い「魔法少女」をメインに 過度な幻想を抱くこと と その幻想を壊すことの相互の加害性と被害性を描きました。 性別や容姿、職業や年齢によって 役割を期待されたり、固定されたイメージ

          title「加害の傷/被害の傷(幻想を壊すこと)」