ボランティアという言葉にあるもの
きっかけ
「広島で豪雨災害があったじゃないですか。僕、ボランティアに行きたいんですけど、一緒に行きませんか?」
自分の周りには、いつも自分が考えもしないことを言ってきてくれる仲間がたくさんいる。そう、恵まれている。
2011年に発生した東日本大震災の時、自分はアメリカにいた。普段、日本のことなどいかなるニュースであろうと話題にしないアメリカのニュース番組が、全ての番組で震災の被害状況をライブで報じていた。
自分がアメリカから日本への帰国を決めたのには色々な理由があるが、この東日本大震災の時にたまたま観た日本のニュース番組に登場した日本人男性の発した言葉も、その理由の一つだった。
その男性は、震災後、仲間と一緒に被災した家の掃除を行うボランティア活動を行っていた。そんな男性に、ニュース・キャスターが質問をした。
「なんで被災した家の掃除をすることを始めたんですか?」
「いや、特に理由は無いです。ただ、自分には小さい娘がいて、その娘が大きくなった時に、『お父さんは、震災の時、何をしていたの?』って聞かれるじゃないですか。その時に、カッコいいお父さんだったんだ、って娘に思ってもらいたいだけです。」
もちろん、色々と遠慮した回答だったかもしれないし、本心はもっと人助けをしたい、ということだったかもしれない。でも、この言葉も一つの真実を言っていると思う。
カッコいい
カッコつけるのではない、カッコいい生き方をする。これは、言葉ほど簡単に出来るものでないことは、今までの人生で嫌というほど味わっている。
あの時の男性の回答を聞いた自分は、自らに問いかけた。
自分は、子供にカッコいい背中を見せられているのか?
そんなことを考えていた自分にとって、仲間から誘われた豪雨災害のボランティアは、あの時の男性の言葉を確かめるためにも、断る理由は一つも無かった。
勘違い
2018年の広島豪雨災害。ニュースでも連日取り上げられており、現地に行くまでの準備段階から色々な情報が入っていたので、自分はものすごい災害を想像していた。そう、東日本大震災のような…。
当日、仲間5人と広島へ飛行機で向かい、現地に着いて、あることを知った。目の前には、8月の青々として田んぼが広がっており、豪雨災害が嘘かのように平和な時間が流れていた。
もちろん、豪雨災害は6月の終わりから7月にかけて発生しており、自分たちが訪れたのは8月、少しは落ち着いているとは思っていた。しかし、その予想を裏切るほどに、目の前の風景は平和だった。
空港に着いた自分たちは、レンタカーを借りて、宿泊する広島市へと向かった。車の窓からは、時折、崖崩れで山肌があらわになった山や道路を塞いでいる木を動かす工事車両が見えた。
確かに、ここには豪雨による災害はあったのだ。
でも、それは地震や津波による災害とは違って、広範囲の災害というよりは局地的な災害。災害という言葉が常に東日本大震災のような広範囲にわたる災害だと思っていた自分の誤りを早速思い知らされた。
ボランティア活動
翌日の朝から、今回のボランティアを行う広島県竹原市へ。
今回のボランティア、実際に現地に入る前から分かっていたことではあるが、活動そのものに様々な制約があった。
まず、活動する地域や作業については、各自で動くのではなく市役所等が取りまとめており、それらの団体が定めた場所へ行くこと。
そして、8月ということもあり、ボランティアを行う人間が熱中症になることを防ぐために、活動時間は10時から15時まで、さらに、15分作業をしたら15分休憩、お昼休みは1時間取ること。
到着した竹原市のボランティア・センターには、各地からボランティアが集まってきており、それを迎え入れる現地の体制も整っていた。
センターには、軍手等の作業に必要な物資だけではなく、飲み物や氷、熱中症対策の薬等も充実しており、全て無料でボランティアへ支給されていた。
こんなに至れり尽くせりの待遇を想像もしていなかったため、非常に面食らってしまったが、2011年の東日本大震災やその後に発生した熊本地震を経験した日本は、ここまで災害時の対応が取れるようになったんだな、と前向きな気持ちにもなった。
おばあちゃんの家
センターで割り当てられた自分たち6人の目的地は、ご高齢のおばあちゃんが一人で住む民家の土砂掃除。センターからは、用意されていたマイクロ・バスでおばあちゃんの家へ向かった。
おばあちゃんが住む家は、山に囲まれた田んぼが広がる地域の中にある、山を背に建つ大きな古民家。そんな大きな家におばあちゃんは一人で住み、目の前の田んぼや畑の世話をしている。
おばあちゃんの家の被害は、大雨で裏の山が崩れ、その土砂が家の中に大量に入ってきてしまったもの。被災直後に、最低限の処置をしてもらっているため、寝るのに困るような状態ではないが、まだまだ家の中や庭、前の畑には大きな石と泥が残っていた。
その日の活動は、自分たち6人の他に5人の男性がいた。休んでいる時に色々と話を聞いたが、広島県の他の地域から来ている人や九州から来ている人、そして、自分たちと同じように関東から来ている人もいた。
ちょうどその頃、スーパーボランティアと呼ばれるおじさんがニュースやワイドショーでよく取り上げられていた。そして、自分たちと一緒に作業していた一人の男性も、災害を聞きつけ軽トラック一台で広島へ駆けつけ、車中泊を重ねながら毎日作業をしている、と話してくれた。
スーパーボランティアのおじさんも、車中泊をしながら作業を続ける男性も、ただただ尊敬した。ただ、その一方で、ある疑問も浮かんだ。
そんなこと出来る人、世の中にたくさんはいないだろうな。
肝心の作業はというと、15分間、大きな石や泥を掻き出したり、それを土嚢(どのう)に詰めたり、そして、15分の休憩。お昼はゆっくり1時間の休憩。おばあちゃんも、作業をしている自分たちのために、冷たいお茶を持ってきてくれた。
その日は、本当に暑くて大量の汗をかいた。確かに熱中症になるような天気だった。でも、作業時間が短いので、中々作業が進まない。15時には、マイクロ・バスが迎えに来てしまう。
そして、15時になった。
やっぱり、10時におばあちゃんの家に着いた時にマイクロ・バスから見た風景と15時に引き上げるマイクロ・バスから見た風景は、あまり変わらなかった。
神奈川から広島まで少しでも役に立ちたいと思って来たけれども、本当におばあちゃんの役に立ったのだろうか?おばあちゃんは、少しでも早く元の生活に戻りたいと思っているはずだ。
そう考えたら、一体何をするために神奈川から広島までやってきたのだろうか?熱中症にならないために、こまめに休憩を取る、って、そもそも目的はなんなんだろう?そんな思いが頭の中を駆け巡った。
そんなことを考え始めてマイクロ・バスの中で暗くなっていった自分、そして、みんなが乗るバスに向かって、おばあちゃんはいつまでも頭を下げて見送ってくれた。
何を目的にするか
東日本大震災、熊本地震、その後の自然災害を経て、色々なものが一歩ずつ整っていき、被災地の復興に大きく貢献するようになっていった。ボランティアも増え、そして、支援物資も大量に全国から集まる仕組みも出来てきた。
義援金も全国から多く集まるようになった。
でも、実際に被災地で見たのは、ボランティア活動する人が大事な人(お客さん)のように扱われ、そして、なかなか進まない作業。一体、いつになったら元の生活を被災した人は取り戻せるのだろうか?
実際に、広島豪雨災害においても、全国から多額の義援金が集まったらしい。でも、その義援金を直接の復興(建設関係の会社や人に義援金を支払い、仕事として作業を行ってもらう)に使うことはしなかったらしい。
確かに、どの会社や人にお金を払うのか、というのは、義援金という性質上、公平であったり平等であったり、ただでさえ癒着等を疑われる恐れがあるので、その義援金を管理する自治体や団体が慎重になるのは理解出来る。
でも、その代わりにボランティアに直接の復興を託す?
ボランティアは、復興作業の専門家なのか?生活するためのお金を稼ぎながら、ボランティアを出来る人はどれくらいいるのか?スーパーボランティアおじさんや車中泊をしながらボランティアをする人をボランティアの前提にしていないか?
被災地復興の目的はなんなのか?
自分は、何かを批判したいわけではない。広島県竹原市で見たものは、自分の時間を使い、ボランティアをサポートしてくださる方々、少しでも何か役に立てるのではないかと思い全国から集まったボランティアの人たち、そこには人の優しさが溢れていた。
でも、だからこそ、この優しさを無駄にしないためにも、被災された人たちが一日でも早く元の生活に戻れるために、最善のことをすべきじゃないのか。
何かをすると、必ず批判をされる。だから、批判されないことをする。
集まった義援金で会社と契約し、人を雇って一日も早く元の生活に戻す。そんなことをしたら、必ず義援金の使い方を批判する人や本当に悪意を持って義援金を使う人も出てくると思う。だから、善意のボランティアを前提に全てのことを計画して行く。
でも、そんなことを気にして、困っている被災された人たちに寄り添わなければ、本当の目的を達成出来ないのではないだろうか。
まだまだ瓦礫が残る家を背に、いつまでも自分たちのバスに頭を下げて見送ってくれたおばあちゃんの姿を思い出すと、ボランティアということも非常に尊いものではあるけれど、人からの批判を恐れず、リスクも取りながら目的に向かって最短で突き進んでいくことの方が大事なんだと思い知らされる。
ボランティアという言葉の響きに騙されることなく、ボランティアがカッコいいのではなく、その向こうにある本当の目的を達成するための手段の一つとしてのボランティアであること、そして、目的を達成することこそが唯一の目的であること、そのことについて考えさせれる被災地での経験だった。