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♫”あの頃ティーンエイジ”でなかった話

この前、原宿レモテのバンドメンバーの新年会に行った
外で”呑み会”なんてすごく久しぶりだった
楽しく混ぜてもらい、お行儀よく(?)最終電車で帰宅した

自分は20代の裏方時代(舞台照明の頃)はツアーの打ち上げとかはあっても
外注のさらにバイトの自分にはまずお声はかからず
話だけを後で聴くぐらいだった

そのあとにバブル時代がやってきた
転職し写真業界にいた自分はスタジオで撮っても撮っても
追いつかない仕事の山と
入ってはすぐに辞めていく新人の歓迎会と送別会で
中間管理職になった自分は呑み会の予約と精算に追われ
気がつくと酒臭い終電で帰宅するかスタジオで仮眠するかの日々だった

そんな時代に出会ったバンド”remote
https://ja.wikipedia.org/wiki/Remote

ホコ天やイカ天で人気が爆発した頃

89年 渋谷クラブクアトロ

ライブハウスでの”GIG”
(彼らはライブハウスでの演奏を当時”GIG”と称していた
多分、池田貴族がプログレ・バンドのピンク・フロイドを好きだったせいだと思う)
僕も撮影でいつも現場に付き合っていた

GIGが終わればまず”打ち上げ”だ
裏口から出て追っかけのファンをまいているはずでも
楽器ケースを持った集団がぞろぞろ歩けばすぐバレる
だからせめてガラス越しに覗かれにくい地下や上の階の居酒屋を選んでいたあと、当時の繁華街でもまだ24時間営業の居酒屋は少なかったのでせめて始発近くまで営業してる店を見つけておくのがポイントだった

そして【池田貴族御一派】の宴会だ
メンバーや関係者は貴族を”社長”と呼んでいた
その”社長”本人が盛り上げてくれる
モノマネ宴会芸からメニュー注文まで・・・
”社長仕切り”の社員旅行の様な大宴会だった

当時のファンは若い未成年が多く終電で消え
街は静まり返り、居酒屋は閉まってしまい
明け方、我々は道端の階段に皆で座り込んで始発を待つ羽目になる
絵になりそうでならない”60年代青春ドラマ”の様な事になっていたのだ

昨日、親の介護の件で実家に行った
昔の自分の部屋でアルバムを広げて観た
88年〜89年。
あの頃、メンバーもティーンエイジではなかった
僕はもう三十路だった
ファンの多くはティーンエイジだった

そして今みんなまとめて”昭和生まれですね”と言われる様になった

  ♫あの頃teenaga(remote)

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