人種差別をする人は、きっと差別もする。
差別する人を声高に否定する人もきっと差別をする。
というか、人間は差別をする。
それを受け入れない人は総じて差別をする。
自分の中には自分を守るために人を差別しようとする作用が備わっているということを嫌というほど感じなくてもいいから、少しでも感じてみてほしい。
差別をしないのではなくて、それを表に出さないの。そして相手を知って、差別というものがどうも愚かだったようだと気づけるといいね。
私は差別をします。前科のある人に会えば性根を疑い、違う国籍の人に会えば分かり合えない可能性を疑い、顔が良ければ仁義を疑い、金持ちを見れば性根を疑います。良いことばかり言っている人は裏ではやばいんじゃないかと疑い、悪いことばかり言っている人は悪いやつだと疑います。
だから、差別は悪いことじゃないと思いたい。差別を表明すること、つまり差別を実行に移すことこそが唾棄すべき行動なのだよと信じたい。
特に集団を形成して少数や個人を叩くような人々は、たとえそれが正論でも許しがたいなと思ってしまいます。
行動を重んじて、善き行動を重んじていたいです。
お恥ずかしい話ですがね。