そして、現在 ~今、僕にできること~その②
レスキュー隊に連れられた僕はパトロールセンターに着いた。その時、一番に思ったのが明日からの仕事ができなくなってしまったこと。書類に必要なことを記載した後、すぐに勤め先の病院に連絡を入れた。
病棟の師長さんに事情を話し、明日からの仕事を休ませて頂けることなった。レスキュー隊のお兄さんが、「スポーツは怪我がつきものだ。また良くなったら、スキーができるから」過去に同じような怪我をしたという。今までずっとスポーツをしてたくど、大きな怪我などしたことなかった僕は何かの天罰でもおきたんじゃないかと思っていた。でも、本当はそうゆう事ではなく、今はスキーが上手くなりたいという思いがこの結果なのだと思うことにした。一人で行くほどがむしゃらに、無我夢中になって滑っていた自分は前よりももっとスキーが好きだったという事ではないかと思うようにした。
そうは言ってもこの状況を救える状態ではなかった。パトロール室に救急隊が到着した。優しい隊長とイケメンの隊員だった。僕は以前、外来に勤めていた事もあって、搬送のイメージはばっちりだった、頸部で測る最新の体温計で体温を測られる。搬送先が決まり仰向けになった状態で、峠道を下り始める。イケメンの隊員が足の痛むところを聞いてくれる。看護師の問診よりすばらしいんじゃないかって思うほど丁寧に診てくれた。僕は車酔いに弱く、案の定すぐに気持ち悪くなった。思うように動けない中、吐きそうになりながら少しだけ上体を上げてもらいながら、病院に着いた。
病院は心臓がどきどきするほど赤が印象的な病院だった。外来の救急処置室と思われるところに運び込まれ、診察台へと横になった。十分にお礼が言えないほどせわしい様子だった。医師に右足を捻くり回されて悶えながら問診に答えた。単純レントゲン検査を行った。本当はかなり待つと言われていたのだけど、早めにしてもらった。検査の結果、骨に異常はなし。靱帯損傷で良いだろうと、念のため簡易ギブス(シーネ)で固定された。母親と2人暮らしの僕は、迎えを仕事中の母にLINEで依頼をした。自宅から1時間半ほど離れた場所であり、土地勘もない所だったので今日迎えに来てもらうことは難しいかもしれないと考えた。先生にもしかすると、もしかすると迎えに来れないかもしれないと伝えると、入院することを快く引き受けて下さった。
母親と連絡が取れ、今日は入院させてもらうことにした。人生2度の入院。なんとなく、落ち着いてた。必要な書類に記載をして、再度勤務先の師長に"右膝内側側副靱帯損傷"で2週間の加療となったことをお伝えした。足を下ろしている事が、辛く数分で右足が青ざめてくる状況で、車椅子で移動するも不慣れで大変だった。母親に翌日持ってきてもらう物の連絡をした。
病院食はとても美味しかった。昼食を食べていなかったので、腹はペコペコだった。仰向けに寝ているのが辛く、上体を起こした状態で休んでいた。これは気胸になった時と同じ。この体勢での熟睡は難しく、2時間おきに目が覚める。そして、同じ部屋の患者さんが夜になり、騒がしくなる。よく分からない声を出したり、おもいっきりカーテンを開け閉めしたり、入院患者さんは些細な音に敏感になるという事を身をもって体験した。
翌朝、母親が迎えに来てくれ、体を簡単に拭いて着替えをした。右膝が曲がらないので、ズボンを脱ぎ剥ぎすることが物凄く難しかった。忙しい時間帯の中、退院準備をして早々に退院した。帰り際に、スキー場に寄り必要な物を回収して、家路に着いた。スキー場にも、状況を連絡してお礼を伝えた。「また、来シーズンも来て下さい」と励ましの言葉をもらった。
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