「詐欺」られても許せるか
「うわっ、それ詐欺じゃん」と日常的に使われる「詐欺」。
正しい意味は、ひとまず置いておいて、わたしたちは、「期待(思っていたこと)と反対だった」「ウソをつかれた」「騙された」の意味で使用しています。
goo辞書によると、上記が「詐欺」正しい意味だそう。
1の金品関係は、触れずに「詐欺」へ思っていることを書いていきます。
ふだん使用している意味に近いのは、2「他人を欺く行為」です。
とはいえ、そんな大層な意味で使ってなく、「ウソをつかれた」を誇張しているのが大半でしょう。
この「ウソをつかれた」際、わたしたちは、許容できるかを判断しています。
すべからくウソを許さない方もいらっしゃるでしょうが、「嘘も方便」の心意気を持って考えてほしいです。
ぼくとしては、「ウソをつかずに生きること、およびつかれずに生きることはムリ」だと思っています。
正直者でありたいですが、現実として、グッと呑み込まなければいけないときもあります。たとえば、親にえっな本を持っていないと証言したり、内緒でそういった類のものを買ったり。
要は、誰も不利益を被らないなら、言わなくてもいい(=ウソをつく)ってこと。
個人的な範囲だったら、割と許せる方が多いと思います。さっきの例でも、「そうなんだ」で済ませられます(親ごころ的に許してくれますよね?)。
しかし、これが企業となれば話は別。ウソをつかれたら、ふざけんなぁ!と感じることが多くなります。
たとえば、とあるキャンペーンにて、あたかもポイントがたくさん付くのをアピールしながら、しばらくしてから、ポイント付与の条件を厳しくする。ちなみに、これは投資に関することです(これだけで分かる方もいるはず)。
顧客をポイントという「エサ」で囲っておき、数が集まったら一気に刈り取る。
結構多い例ですが、大半の人は「騙された!」と憤りを感じことでしょう。
これが「詐欺」される、ということです。
こんなやり方は、顧客から信頼を失うだけだと思います。市場原理、の4文字で片付けていいとは思えません。
だからこそ、誠心誠意「謝っている」、またはその意思が伝わる企業へは、たとえ「騙されて」も許せます。
この許せる・許さないって、「企業が利益を追っている感が見えるかどうか」で決まってくると思います。
それが企業のあるべき姿ではありますが、「顧客」じゃなくて「お金」を見ているので、深いため息が出ます。許さない場合、顧客は「ウソをついた企業」から「正直者見込みの企業」に乗り換えるいうのに…