ヒーローは「感情労働」か?:僕のヒーローアカデミア
先日、社会学の授業で
A.R.ホックシールドの感情労働論について少しではあるが学んだんです。
そこで少し疑問に思ったことがありました。
「ヒーロー」って「感情労働」なのか?と。
このテーマを考えていく上では、ヒーロー仕事と見なされている必要があるので、少年ジャンプの「僕のヒーローアカデミア」を参考に考えていきたいと思います!
ヒーローはどのような位置づけか?
たちまち市民権を得たヒーローは世論に押される形で公的職務に定められる彼らは活躍に応じて与えられるんだ・・・国から収入を!!人々から名声を!!堀越耕平、『僕のヒーローアカデミア』、集英社、2014年、p12
公的職務とあることから、おそらく公務員という位置づけが近いのではないでしょうか。少なくとも特定の営利企業に属しているというわけではなさそうです。
(ちなみにこの作品ではヒーローライセンスというものを所持して初めて「ヒーロー」と認めらます。)
そして活躍に応じて収入を得るとあるので、完全な歩合制なのかそれとも基本給があり、その上で活躍に応じて給与が加算されていくのか分かりませんが・・・。
感情労働とは?
そもそも感情労働とは何でしょうか?これは「社会学」という本によれば
工場労働者は「肉体」を酷使されるが、現代の接客,医療・福祉,教育などの対人サービス労働に従事する労働者は「心」を酷使され、何ほどか客に「心」を売らなければならない。藤村正之他、『社会学』、有斐閣、2007年、p298
この考えを基にすれば、感情労働とは「感情を資源とする仕事」だと思います。
つまり現代のサービス業というものは、感情すらも労働に費やさなければならないということです。感情の自由が奪われつつあるのです。
関連:
僕のヒーローアカデミアでの仕事としてのヒーロー
まぁ最初に公的職務と言ってしまっているので、ほとんどが仕事には変わりないのでしょうが・・・
ここではヒーローの色々なシーンを挙げていきたいと思います。
(まさかここでUltra Analysisが役に立つとは思いませんでしたねぇ)
USJ襲撃事件、ヒーローインターン(死穢八斎會捜索)神野の悪夢事件編、脳無ハイエンド編、
漫画ではこれが割と大きな出来事かなと。
と、シーンを挙げてみたのですけれどそもそも「ヒーロー」というものが仕事である以上は、その仕事をする人は「ヒーロー」を演じなければならないわけですから「役割距離」という観点から見ればこの時点である意味「感情労働」であると言えるでしょう。
USJ襲撃事件編
ここではオールマイトを例にあげましょう。彼は襲撃を受けた生徒たちを救うために、脳無と拳で対決します。
彼が同じみのセリフ「私が来た」と言いつつ、その表情は怒りに満ちています。この時点で「感情」が出ていますね。
いつもの彼は、恐れ知らずの笑顔で助けるというスタンスを取っています。これはある意味で「感情」を露わにしていないという風に考えることもできますから、このUSJ襲撃事件編は「感情」を仕事・労働という状況で露わにしている例ですね。
ヒーローインターン(死穢八斎會捜索)
ここでは数々のヒーローが登場します。ロック・ロック。イレイザーヘッド。サンイーター。ルミリオン。サー・ナイトアイ。ファットガム。色々です。
漫画を読んでみれば分かるのですが、はっきりいってしまえば感情が溢れてまくっています。(漫画だからとかはいったん無視です)
それが仕事や労働であると忘れてしまいそうなぐらいです。
神野の悪夢事件編
オールマイトがオールフォーワンと対峙するシーンです。
ここでは非常に特徴的なセリフがあります。
させて……やってくれ……仕事中だ 堀越耕平、『僕のヒーローアカデミア』、集英社、p97
オールマイトが血反吐を吐きながら、両腕をバキバキに骨折しながら、その身を晒されながら、巨悪を打ち倒すその姿・・・。
グラントリノは彼の姿を見て「仕事中だ」と言ったのです。
感情の自由はあるか?
3つの事例だけですが・・・、改めてヒーローの仕事に感情の自由はあるのでしょうか。
私は無いと思っています。
言ってしまえば、ヒーローは慈善活動の一貫。サービス業に近いものであると言えます。
働いている工場労働者は仕事が終われば、その仕事から感情的にも開放されます。労働とそうでない時間の区別ははっきりしています。
ですが、ヒーローも含めたサービス業は身だけでなく、心も自分の職業に染めなければいけません。
オールマイトはそう考えれば、非常に苦労する立場だなと思います。平和の象徴ともなれば仕事中かそうでないか関係なく、常にその自覚を持たなければならないのですから。
そこに感情の自由はあるのでしょうか。簡単に割り切れることなのでしょうか・・・?
あなたは感情的に自由か?
ここまで見てくると、やりたくない仕事をしてる人の方が感情的には解放されているのかもしれません。人間の神聖な領域が侵されていないのですから
では、どうでしょう。
あなたは人間の大切な部分まで「労働・仕事」に浸食されていませんか?
では。今日はここまで。
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