管理社会の本格化・コロナの後の大変革
テレビで
かぐや様は告らせたい
を見ようと、始まる数分前にテレビをつけると
何やら興味深い番組が放送されていた。
他にも、「ジャック・アタリ」や「イアン・ブレマー」もいたが、ちょうど私がみたのは、「ユヴァル・ノア・ハラリ」のターンだった。
そこを見ただけでも、俄然興味が湧いてくる内容だったけれども。
民主主義の危機
ユヴァル・ノア・ハラリターンでは
民主主義の危機について、話題が持ち上がっていた。
コロナウイルス感染者の追跡や、抑制のために、監視システムの強化が現在進められているのが現在の様子らしく。
そして極めて注目すべき問題が、コロナが終息した場合。
強化された監視システムが、コロナ後も活用されるという事態。
コロナ後にも、何かしらの危険は存在するであろうから、その監視システムを利用しようとなると、それは民主主義の危機につながる恐れがあるのではなかろうかと解説する。
さらに問題なのは、監視システムの変化だ。
例えば
マイクロチップを手首に埋め込んだり、マイクロセンサを飲み込んだり、それから人間の細かな感情を判断できるようになったりする。
つまり
人間の生体情報が、監視対象となることによって、我々の反応やそれに伴う感情や思考を読みとることになり
仮にそれが濫用でもされたとすると、完全ではないにせよ、人間のおよその反応が丸裸。
これはその人の個人情報とか、行動履歴とかいうレベルの問題ではない。
イスラエルのように、治安機関にそのような情報が渡ったとするのならば、より深いレベルで、人々を管理し、支配できる恐れもあるやもしれぬ。
インターネット社会にどっぷりと浸かっている今、この話は夢幻ではない。
現にその技術は存在するのであり、そうしようとする人間がいないと言い切ることもできない。
そういえば、コンビニの無人化の本当の意図について教えてもらったことがある。
日本では
無人コンビニというものは、まだまだ珍しい存在かもしれないが
中国やアメリカは、その無人コンビニの利便性に注目しているのではなく
消費者自身の「情報」に非常に価値を置いているのだという。
人間はますます監視され、管理され、消費活動をするよう強制され・・・
なんだか自由意志なんて無いような気がしてきた。
構造主義的な考えがいよいと台頭するときだろうか・・・?
dividual
個人は「individual」と表記できる。
つまり
in(否定)+divide(分ける)
それ以上分けられないもの。デモクリトスのアトムみたいな感じ。
しかし、監視社会が加速したとすると、(その恐れが大きいのだが)
個人はもはや個人ではなく
「分人」なのではないだろうか・・・?
先ほども書いたように、完全に(肉体と魂の分離)分けるというわけではないが、
生体情報、生理的反応、行動履歴、閲覧履歴
そういった情報を上手く活用すれば、その人そのものを表すビッグデータがいくらでもできる。
個人は、
分けられるもの(dividual)にさせられてしまうのではなかろうか?
転換点
どこでも言っていることだが
コロナウイルスによって求められているのは、大きな変革。
しかし変わるのは、
われわれの生活、考え、教育、環境だけではない。
コロナを利用して、社会のあり方さえも変化の淵に立たされている。
(いい意味でも悪い意味でも)
でも
もし仮にそういう未来に到達するとして、そこには「逃げ場」みたいなものは無い気がする。
生活は保障されるけれども、少しでも逸脱するような行動や言動が、異端視されるようになるのだろうか?
犯罪係数みたいなもので測られて、エリミネーターのその口を向けられるようになるのだろうか?
こわ~い。