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IPPONグランプリでは2点くらいのボケみたいな機能がついた時計と、とある限界

とあるコマーシャルを一瞬。

取り込んだ酸素の割合を計測できるとか、よく分からないが、なんとなく「あぁ・・・」と感じた。IPPONグランプリに出てくるボケとしては、あまり面白くはない。CMそのものとしても、「へぇ」としか思わない。特に面白いとも感じない。

正直、そんな機能があるということよりも、コンビニでおにぎりを買って食べる方が、幸福感はあるし、必要だと感じるし、価値もよりあると思っている。(※個人差があります。)

酸素の量をわざわざ計るような状況にすらいかんし、とくに魅力は感じていない。今のところはね。というか、なんとなくCMの構成自体が、ある一種の「限界」を感じさせるようなものだったような。

酸素なんて計れないでしょ?という疑問に対して、「計れますけど?何か?(笑)」と答えている。「もういいわ」と、呆れというか、諦念というか、投げやりな答え。(もうここまで云うと、どのコマーシャルか分かるだろう。)

「もういいわ」という答えには、それが一種の演出であっても、これ以上加える機能が無いという「限界」のようなものを感じた。

こう思っている人はいないだろうか。

スマホってこれ以上進化しても・・・よく分からない

今以上に技術が進歩しても、よく分からない

みたいな。ワタシも明確に言語化出来ないので、非常に曖昧模糊としているが。

深化しすぎ。進化しすぎ。変化しすぎ。

その「しすぎ」の先が、もう見えているというか。行き詰っているというか。「酸素を計る時計」という、全然面白くも無いし、笑える要素もない商品が出てきて、「モノ」そのもの自体に加えることの出来る機能や価値みたいなものが飽和しているというか。

もう次は、ドラえもんのひみつ道具でも、コマーシャルにして流してくるのではないかとさえ思ってしまうほど、今の人間が作りだすモノの、それ自体としての限界というか、そういうものを感じてしまう。(もちろん進化する技術は、たくさん他にもあるとは思うけどね。)

ここからが分かれ道。新たな発展段階に突入するか。それとも、定常化の状態に入るか。もちろん、どちらかに断定することは出来ない。ただ、歴史の転換点みたいなものが、迫ってきているような気がする。10年後、少なくとも、10年後は、(当たり前かもしれないが)、グンッと変わっている気がするような、しないような。



今日も大学生は惟っている。


参考文献

広井良典.2019.人口減少社会のデザイン.東洋経済新報社


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