「ふれる」はなぜ exprience なのか?
「ふれる」。
高校入試対策の問題を見たときに、その英訳として「experience」があてられていた。
ふれる、が「touch」でないことくらいは流石に分かるが、「experience」と訳すことができる理由を問われると、正確に答えることは難しい・・・。
そんな折
「ふれる」
に関して、関心を引く記述を見つけた。
哲学者坂部恵が論じたように「ふれる」というできごとは、「ふれあう」といわざるをえないような、接近した相互性と共同性とを本質とする。しかもその相互性は、単なる双方向性という以上に入り組み、混じり合っている。それゆえ、おそらくなんらかの意味での拘束性を持つ「空間」がそこに生まれていると理解するほうが適切である。(佐藤健二、2012、113)
なるほど、とこの文章を見たときに不思議と腑に落ちた。
確かに「ふれあう」という言葉は、なぜだか「さわりあう」よりも、より深いレベルでの関わりあいのような響きがある。
(にしても、「さわりあう」とは何故だが少々虫唾が走るような表現に聞こえる。)
この意味でも、「さわる」という言葉は、浅はかな、それでいて気持ちの籠っていない表現なのではないだろうか。
さて。
ここまで見てくると、「ふれる」が「experience」に訳すことができることの理由が分かった気がする。
「experience」は分かりやすく言えば、「体験する」ということだ。
身体でもって、経験する。
引用にあるような、「拘束性を持つ『空間』」とは、
当人が自身の身体を用いて特定の事象が起こる空間を経験する、ことに関連しているのではないだろうか・・・?
う~む。
中学生レベルの英語訳でも、内実を探ってみると意外と難解なものである
と
今日も大学生は苦戦する。
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