赤い羊に気をつけろ…!?
「人」は1度死んでしまったらそこで終いになるってのに、
「人間」という種は、なかなかどうして終いを迎えることが無い。
哲学の授業を受けていた時、環境倫理の話題になった。
私は教員さんの話を聞いている間、こんなことを思ったのです。
現在と未来ないしは、過去と現在は「赤い羊」を介しているみたいだ、と。
直線的な時間
では、現在と未来に絞って話を進めてみよう。
時間というものは、円環的な側面と直線的な側面を持ち合わせている。
「環境」という観点から言えば、直線的な時間の考え方がしっくり来る!
繋がっているのに、分断されている
しかし不思議なものだ。
私たち人間は、個人個人は死んでしまえばそこで終わりになる。
しかし
私たち人間が暮らした「環境」は依然そこに存在している。
繋がっているのに、分断されているのです。
赤い羊
では何故最初の方で、「赤い羊」という表現を使ったか説明していこう。
先ほど言ったように、現在と未来は直線的でさらに繋がりつつ、分断されている。
この状況は
「現在」と「未来」が透明な壁で分断されているような状況に例えられる。
そしてその透明な壁にはどうしてかこのように書いてあるのです・・・。
redrum
そして問題なのはこの「redrum」という文字がどちらから見た光景なのかということだ。
・・・
この「redrum」は現在から見たときの光景だ。
と、いうことは
「未来」から見るとこの文字は
「murder」
と読むことができる。
現在から見れば、人によってはただの「redrum」だ。
何が「redrum」で。「redrum」が何を示唆しているのか理解できない人がいる。
未来から見れば、それは「現在」よりもより明らかな意味を持つ「murder」と捉えられる可能性が高い・・・。
さらに誰が「murder」で、「murder」の被害者は誰なのか分かる人がいる。
私が「赤い羊」という表現を使う理由がこれです。
赤い羊はちゃっかり存在してる
厄介なのが、この赤い羊はちゃっかり居座っているというところだ。
赤い羊(redrum)はあなたの周りにいるかもしれない。
もしかしたら、あなた自身の中に潜んでいるやもしれない。
それが本当に危険で、迷惑極まりないということを「現在」の人は意識することが出来ない。
未来の人々から、すれば
あなたは誰かの「murder(殺人犯)」になっているかもしれない。
被害者である「未来」が復讐することもムズカシイとは、なんと憂鬱なことだろうか・・・。
有限
残念ながら、地球は「有限」の存在だ。
現在の私たちさえよければ良いのだ、という風に考えることは
つまり
自分で自分を気づかずに殺人鬼していると考えることもできる。
生き物は生きているだけで(特に人間)迷惑なのだから、せめて同族には迷惑をかけないようにしてみてはどうだろう・・・?
少なくとも、私は殺人犯にはなりたくないけれど
と、どこぞの二歳が今日も思っている。