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年齢=生きてる年月じゃないよね

ほら、

年齢というものがあるじゃろ。

よくよく考えてみると、この年齢というものは、実に不思議なものに見えてくる。

というかそもっそも、この「年齢」は、イコール「生きている年月」とは等しくない。

私が腹から出てくる前には既に、私はある程度は生きていたのだから。心臓が動き始めるのは、腹から出て初めてではないのは、火を見るよりも明らかだろう。

ということは、この「年齢」とは、非常に社会的且つ恣意的なものであると言えるのではないか。

腹から出てきた後、(たしか”生まれた”は親がある程度変更させることができると聞いたことがあるような)から、私には年齢というものが付与される。0歳などと言われるのであろうが、こちとらもうすでに一年近く生きてるんじゃ。

そういえば、どこかはるか昔にこんな話を聴いた覚えがある。どこかの時代には、新年を迎えると、歳を一歳取るのだとか。それゆえに、生れてすぐに一歳になる子どももいたとか、いないとか。

誕生日が一月一日なら、一気に二歳も歳をとることもあったとか・・・。

まぁ何が言いたいのかっていうと、「年齢」って興味深いなぁということだ。年齢学とかあったら、面白そうだな。調べてみようかな。

さて、生きている年月と、年齢はやはり一致することはない。これはおそらく絶対だ。

もし私が腹の中で、三年近く身体を抱え込んでいた状態で、その後生まれたのなら、私は「0歳」なのだろうか?やはり0歳なのだろうか・・・。

だとしたら、やはり「年齢」は恣意的なものなのだろう。(というか、木の年輪って、木が生きている年月を表しているのか、本格的な「木」として育ち始めてからの年月なのか。不思議だ。)

というか、一体どの時点から「私」の身体は生きていると言えるのだろう。やっぱ、心臓が動き始めたときかな。でも、脳死って、心臓が動いているのに、ほぼ生きていないと同義のように思われる。

ああぁ、「生きている」ってどういうことなんだろ。




今日も大学生は惟っている。




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