「虚構」のためのリアルの破壊
人間は破壊と想像を繰り返す生き物
どこかでそう学んだが、一体何処だったか。
そして、不思議なことにこの「破壊と創造」を
人間は「虚構」のために行う。
日常にありふれているはずなのに、とても不思議に思えるのは何故だろう…?
オリンピックという虚構の為のリアルの破壊
これは
「で、オリンピックやめませんか?」天野恵一,鵜飼哲編
を読んでいた時。
イ・ギョンリルという方が書いた「2018年平昌冬季オリンピックの実態」というトピックの中ではこのオリンピックに伴って当然のように行われた環境破壊のありようを語っています。
一部引用します。
イ・ギョンリルによれば
長野の残した負のレガシーの大きさはとてつもないのです。IOCは、冬季競技で必ずといっていいほど起こる自然破壊に対して、何ら手を打っていない。環境に関する項目がオリンピック憲章に入ったのは九六年版からで、しかもいい加減な規定しかありません。(イ・ギョンリル、2019、19)
このトピック全体を読んでいて思ったことは、(冬季)オリンピックを主催する側が主催できさえすればいいと考えているとしか感じられなかったということです。
にしても、人間とはつくづく「虚構」に忠実な生き物であるなと思います。
利益獲得や、西洋文化の普及、近代での「国民」の創造。オリンピックはこれらを達成するのに大きな役割を担います。
といっても、これらの概念や目的は人間の範疇の虚構でしかありません。
絵画や紙幣の価値が実体のないものに支えられているように、これらも根本には実体的な「何か」なんてものは存在しません。
私たち人間がただあるように思っているだけですね。
人間はこのようなモノ?の為に
リアル(自然)を破壊することだってあるのです。
自分の「虚構」の創造の為ですよ。
ポトラッチ
余談です。
人類学の講義を受けていた時に印象に残る言葉がありやした。
それが、
「ポトラッチ」。
あんまりwikipedeiは使いたくないですが、手元に本がないので・・・
この言葉は、チヌーク・ジャーゴンで「贈る」または「贈り物」を表す言葉に由来する。ポトラッチは太平洋岸北西部先住民族の重要な固有文化で、裕福な家族や部族の指導者が家に客を迎えて舞踊や歌唱が付随した祝宴でもてなし、富を再分配するのが目的とされる。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宣教師や政府の役人は「ポトラッチは浪費を促し非生産的で非文明的な悪習で、文明化と布教の障害である」と見なした 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これも虚構ための破壊と創造ではないのかとちょっと思いました。
今まで蓄えてきたものを再配分(破壊)することによって、他者に恩恵(虚構)をもたらす(創造)。富を自分で独り占めしてはいけないのです。
ところで、面白いことに気づきてしまいました。
もしかしたら考えすぎかもしれませんが・・・・
ポトラッチは19世紀後半~20世紀初期までに禁止されています。理由は上の通り。
これって、慣習を禁止(一時的な破壊)してある秩序(虚構)を生み出す(創造)なのではないでしょうか。
畢竟、「ポトラッチ」も「ポトラッチを禁止する」のも、原理は一緒なんじゃないかなと私は思いました・・・。
では、今日はここらで。
参考文献
イ・ギョンリル、2019、「2018年平昌冬季オリンピックの実態」、『で、オリンピックやめませんか?』、天野恵一,鵜飼哲編、亜紀書房、19
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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