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付箋は旅人である
本を読む、それはただ目線を字の羅列に沿わせていくことではない。
本を読むとは、より正確に言うのならば
「本を繙く」ということである。
この過程に、付箋がカギになってくる。
興味や関心の赴くままに付箋を貼り、どの情報が自分に必要かを探る。
これで終わりではない。
付箋は、一度貼ったら終わりではない。
又別の本を読んでいる時に、ある本に貼ってあった「付箋」を使う。
もうすでに読んでしまった本ならば、特段支障はない。
付箋は少しお引越しをするだけである。
否、「引っ越し」などという安定を前提としてものではないな。
付箋が最終的に行き着く先など、私はおろか付箋も知らない。知る由もない。
『おくのほそ道』 松尾芭蕉 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。船の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、・・・・・・(斎藤孝、2001、108)
人が旅に生きることが出来るように、付箋もまた旅人となる。
違う出版社、異なる著者、一様ではない文章の風景を、あちらこちらと忙しなく移動する、しかし目的地など無い。
付箋を別の本に貼るとき、付箋が本の間を移動する、それと同時に私の、本同士の知識や知恵が紡がれていくのである。
終わりはないかもしれないが、続いていることは確かであるといえよう。
今日も付箋は、本の旅人である。
付箋は旅人であり、また私自身でもある。
付箋は、どこにも行かない。どこかへ消えるとするなら、彼らは・・・
どこへ行く?
と
今日も不図大学生は惟う。
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