言葉はどうして進化した?
「言葉」「言語」に関する本たちを見ていると、これらが極めて複雑なものだと感じる。
言葉を構成する4要素、言語の交感機能、用語論、発生学習、言語の周辺的機能、思考、意識、文字拘泥、歌、有限の無限性、意味を伴う音、空間的分節、嘘。
非常に多彩な事柄が「言葉」に関わっている。
しかし、何故言葉はこれ程までに複雑に進化したのだろう…?
二つの説
ここでは二つの説をまず紹介する。
一つ目が、岡ノ谷一夫さんの
コミュニケーションのために進化したという説。
二つ目が、ノーム・チョムスキーさんの
コミュニケーションのために進化したのではなく、
おそらく言語の本来の機能、「思考」のために進化した
という説がある。
二つの機能
言葉には大きく分けて2つの機能があると私は思っている。
「コミュニケーション」と「思考」である。これは先ほど挙げた説の違いにもあてはまる。
では、どちらの機能の方が重要かと言われれば、私は「コミュニケーション」は「思考」という機能に比べて、重要ではないと考える。
なぜなら、そもそも思考が出来なければ「言葉」に伝達は難しくなるだろうし、また「言葉」によらなくても、コミュニケーションを行うことは十分可能だからである。
まぁつまり、私はチョムスキーさんの考える
「言葉はコミュニケーションのために進化したのではない」方がしっくりくるんじゃないかと思っているということです。
嘘
「嘘」に関しては
この記事で詳しく書いているので、是非ご覧ください・・・。
さて、この「嘘」なんですが。
私は個人的に「嘘」って言葉の本質的な機能だと思っているんです。
(理由は色々ありますが、とりあえずふっとばします。)
では仮にこの嘘が「言葉の本質的機能である」と仮定すると、先ほどチョムスキーさんの考えが納得いくはずです。
言語が本当にコミュニケーションのために進化したのであれば、
(コミュニケーションは単なる情報伝達だけではなく、「つながる」ことも大事な機能の一つです!)
「嘘」は障害になってしまうと私は思います。
現実に無い状況を伝えるということは、仲間にとって危険な情報を与えかねない。
この「嘘」はコミュニケーション上では、邪魔でしかないのではないかと私は考えています。
思考のための進化
さて、思考のために進化したとすると、この「嘘」は実に合理的な働きをする機能の一つといえます。
人間が持つ文化や伝統はいわば「嘘」の究極形態。
人間の作り上げているものそのものが「嘘」の発展している形なのです。
もし「嘘」という機能がなければ
アヴェンジャーズどころか
ギルガメシュ叙事詩や聖典すら生まれてはいなかったと思います。
現実には存在しえないものを想像し記述するには、「嘘」つまり「言葉」が必要になりますよね。
しかしながら
私はコミュニケーションの為に進化したわけはないでしょ・・・
と思っていますが
これは自分の考えを他者の意見を基に構築したにすぎません。
言ってしまえば。
答えなんてものは分からないわけですが
さて
あなたは、「言葉」はどうして進化したのだと思いますか?
と
今日も大学生は疑問を露すのである。