夢の続きを #018
#017→https://note.mu/uyax/n/nf72aab2d6ac5
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さて、1995〜先って結構具体的になってしまうから
何処かにマトを絞って書いた方がいいか、
考えなくちゃな、です。
あくまで 浅岡雄也個人が感じてた事 だし、
記憶も曖昧、且つ記憶違いも在るかもだし、
間違って書いてしまい、
迷惑かけてしまう事への懸念があります。
なので、色々ぼやけてくるかもしれないけれど
読み物として面白さは減るかもだけれど
つらつらと気が向いた時に書いていこうと思います。
m(__)m
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1stSingleは98位という結果で終わった。
「(゚ー゚)(。_。)ウンウン、Debutにしては充分なんじゃないかな?」
なんて僕は思っていたけれど、
制作側や事務所は「絶対売る!」
という意志を見せてくれていた。
初めて、自分のウタがTVCMから流れてくるのを見た時
「嗚呼、何か始まったなぁ!スタートラインだな!」
と、決意新たにしたと思うけれど、
何処まで理解し出来ていたのか、
は今なんかよりも全然甘かっただろう。
しかし、ただただ ひたすらに毎日
曲書きしてた気がするが
demo採用率は一気に下がってた。
何度も何度も作り直しては提出、の日々。
Directorさんは根気よく毎回アドバイスをくれたけれど、
そのアドバイスの真意まで理解て直せていたか、
と聞かれたら「NO」だったのではないかな。
そんな1994春、作家さんdemoが届く。
一聴して「(・∀・)イイ!! 」な感じだった。
「ああ、コレが作家の力なのかあ。。。」
少し凹んだけれど 確実に僕が歌う
という事を意識しつつ
キャッチーで的確なMelody&コードになっていた。
そして、それが2ndSingleになる。
アレンジをする、という日。
見学したいと言ってStudioへ。
S1100 / moog / SG1D 等の機材で、
一気に骨格が出来てゆく。
そしてテンポ決めの時、仮歌を入れてみる。
凄く歌いやすい。
Guitar入れの日は別日に決まり、僕は歌詞書きに突入する。
1994年平成6年 25歳 だった
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