強いとか弱いとか決めたいときはゲームでもするよ
作品と作者を断ち切れない
短歌の本が増えたので、読まないとな、と思い始めた。
好きな歌人を胸張って言えるほど短歌をたくさん読んではいないけど、
どうしても惹かれるのは笹井宏之かな、と思う。
最近知ったので、もう亡くなっているのが惜しい、と思った。しかし早くして亡くなっているからこそ惹かれてしまうのかもしれない。人間って単純だ。
作者の背景に惹かれるのは、よくあることだ。でも、作者はそれを望んでいるのだろうか?
私自身もそうだが、作品だけを純粋に楽しんでほしい作家の方が多いと思っている。自身で思っていても、作者に惹かれてしまうことは多い。
作者の内面や、現在などを知ってしまうと、純粋に作品を楽しむのは大変難しい。と言うことに気づいたので、これからなるべく、先に作者情報を見ないようにして、まずは純粋に、フィルターなしで作品を楽しもうと思った。
一応、ほかの歌人の歌集と交互に読んだりしてみたが、笹井宏之の短歌は、読みやすく、リズムや表現で惹かれる部分もたくさんあった。今のところ、私の中でナンバーワンの歌人だ。
小説と孤独とSNS
小説を書くのがしんどい時期が来ている。一つの作品にずっと張り付いているせいもありそうだけれど、今、私は、孤独が続くことが怖いのかもしれない、と思った。
書くことって孤独だ。たった今書いているこの日記のようなものだって、孤独を感じながら書いているわけで、苦しいことが多い。書き終わるまで本当に孤独。書き終わってからも孤独がすぐに解消されるわけでもないし、ずっとしんどさが付きまとう。
でも書く。なぜ書くのかと言われたらわからないけど、頭の中にあるものを作品にしないでいたら、憂鬱は加速して、もっと孤独になるから。孤独を軽くするために、苦しくても書いている。
これを書いてる時も孤独なら小説書いても同じじゃない、と感じるかもしれないけど、小説とこの日記の違いは明確にある。孤独から解放される速さだ。
日記はだいたい1000文字とかで、公開すれば何かしら反応が来る。でも小説はまだしばらく人に見せないで書き続けないといけない。その違いが大きい。ちょっとでもひとりぼっちの気持ちから解放されて、人と多少のつながりを感じたい。
人と繋がりたいという欲求から、私は日常的にTwitterを見ていることが多い。それも本当は良くない。ひとりの時間に対する耐久がないのは危険だ。いつか人はひとりに耐えなければいけないときが来ると思う。そのためにひとりの時間をものにしないといけないのは分かってはいるけど、やっぱり人を感じることに飢えている。だからTwitterを常にチェックするし、YouTubeを流していつのまにか見入ってしまう。スマホ依存の解決策は何回も考えたことがあるけど、どれもあまり効果がなかった。なし崩しになる。スマホに頼らない生活を、高校くらいまでは送っていたはずなのに。
自由な時間は、TwitterなどのSNSと、YouTubeなどの動画配信サイトにどっぷり浸かっていることがおおいので、早急にどうにかしないと、何をするにも足枷として付きまとう気がする。孤独に慣れる練習をしよう。ひとりの自由時間を、楽しむまではいかなくとも、有意義に過ごせるようになりたい。
強くみせたい?傷つけるな?
SNSやってて、人をなるべく傷つけないように発言しているけど、なぜやってるかって、まあ1番は自分が傷つきたくないからだ。でもよくよく考えると私が傷つけないように発言したところで攻撃してくる人はいるだろうし、流れてくる範囲攻撃に当たってたりするし、馬鹿馬鹿しくなる時がある。
最近よく考えるのだが、『傷つけてなんぼ派』にも『絶対傷つきたくない派』にも同意できなくて息苦しい。
絶対に傷つきたくない派は、自分が傷つくのは許せないけど、傷つけた相手を攻撃するのは躊躇わずやる。おかしいと思わないか。明確に傷つける意図があるかないかはよく見ればわかるはずだ。意図があったとしたらそれは然るべき対応をとる必要があるかもしれないけど、こじつけで、傷つけられたと騒いでる人が多すぎる。発言でも作品でも、見て傷ついたとしたら、実際の意図を考えるべきだ。考えないで見たまんまを受け取り騒ぎ立てるのは馬鹿のやることだと思う。最近のインターネットは頭を使うことをしない人がたくさんいる。そこまで考えて発言しなければいけないのは本当に苦しいと思っている。
結局、なるべく傷つけないように発言する必要があるのか。すこし考えてみたけど、やっぱり必要ある。他人を攻撃して自分が強いと思い込んでる人間が大嫌いなので、そうはなりたくない。攻撃するのは本当に強いからではなく、強く見せたいからだろう。攻撃することを常習化すると、傷つけることを厭わなくなると思うので、どんどん化け物に近づいていくと思う。
人が傷つくのを見るのが嫌なのもあるけど、とにかく自分が、自分の嫌いな人になるのを防いでいる。
もし自分が傷ついても、意図しない攻撃に傷ついたと騒ぎ立てることもやりたくない。とにかく、攻撃には無関心でいたい。
思ったことを数日にかけて書いたら、ごちゃごちゃになってしまった。たまにはいいかな。