言葉にする 2022/06/22
注目されると緊張するし、問い詰められるとパニックになる。誰でもそういうことがあると思うが、昔から私は過度な緊張癖のようなものがあった。小学生1年生の時、日直の生徒は自分のことを発表する場面があった。詰まることはあれど、みんなそれなりの発表をしていた。ついに私が日直の日。呼ばれて前に出て、一段段差を上がり、クラスメイトの目線を感じとった瞬間。考えていたことはまっさらに消えて、口を開こうにも声は出ない。俯いて泣くことしかできなかった。泣いても先生はじっと待っている。クラスメイトのみんなも待っている。地獄だった。この場にいるすべての人の時間を、私の無言で奪っていた。一年生最後の日直の時は泣きながら膨大な時間をかけて発表をやり切った。先生は泣いて喜んでいたが、私はもうやりたくないと思ったし、クラスメイトだってもう聞きたくないと思ったはずだ。
あとから聞いた話だが、私の発表の時女の子たちは早く終わらないかなと手紙を回しあっていたらしい。申し訳ない気持ちと、悲しい気持ちでいっぱいだった。
親に叱られたとき、理由を問われたり、自分が話す番を与えられても何も思い浮かばずパニックになってただ泣くだけしかできないというのが何度もあった。これは、泣けば許されると思っているわけではない。話さなければいけないのがわかっているのに思考は空回りして、無言を貫かねばならない自分に情けなさを感じて泣いていた。
今でもいきなり発言を求められるとかなり慌てる。毎度言葉に詰まってしまい、答えを待っている相手のことを考えると冷や汗がダラダラと流れる。それでも成長した方だ。
最近そういう話題になって、高校の時の後輩が「先輩は、この時期からだんだんと良くなってきましたよね」と教えてくれた。その時期はちょうど、考えを紙やスマホのメモアプリに書き出すということを日常的にやり始めた時期だった。頭の中のぼんやりとした思考を文字に起こすことは、言葉にして口に出せるようにするためにも大事な訓練だったのだ。
小さい時の私に、この大切なことを教えられるなら教えたかった。
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