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軽蔑と、膿んだ瘡蓋 2022/09/14

左肩の後ろに瘡蓋ができた。下着の紐が当たるところで、いつのまにか膿んでいた。たまに諦めたように血と汁が出て、私は慌ててティッシュで押さえつける。今、生活は左肩の瘡蓋に主導権を握られている。

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私は自分のことを穏やかを求める人間だと思っている。人が怒っているのが苦手、嫌な空気が耐えられない。これは昔からそうで、なら怒られることやるならって感じなんだけどめっちゃ怒られることは沢山やっていた。それはいいとして、私は穏やかを求めるがあまり、他人の気持ちを考えていない時があるなと気づいた。人を貶めて笑っているような人の気持ちがわからないと思っていたが、多分考えてない、考えることから逃げてるだけだろうと思った。むしろそんな人たちのことを異常だと思って見下げていた。これは、貶めているのと同じことだ。どうも、私はどこか自分のことを正常だと、驕っている。そんなことないのに。他人を蔑むことは、自分の位置を高く保つためだ。高く保ってなんの意味があるのか考えたけど、一人頭の中だけで優越感に浸る以外メリットはない。穏やかを求めるのは、辞めたい。他人を蔑むことはしたくないけど、創作には憎悪が要るときがある。自分の意見をはっきり持つことと、理解できない人の気持ちを出来る限りを尽くして分析しよう。

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膿んだ瘡蓋はすこしふやけていて、感触は気持ちよくて気持ち悪い。

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