TVアニメ『デカダンス』 一話をみて妄想


 本投稿ではTVアニメ『デカダンス』一話をみて思ったことを無責任に書いていこうと思う。もちろん見たことを前提に書くので、ネタバレを気にする方はこの投稿なんかすっかり忘れて『デカダンス』を視聴することを勧める。また、一話視聴時点での感想なので私の妄想に論理的必然性がなく、シーンからの連想ゲームのようになっている点に注意してもらいたい。これは一個人の妄想であり、連想ゲームである。作品の解釈ではない。



1.なぜ移動要塞の名前/アニメタイトル名がデカダンス?

 作品中の世界ではガドルとよばれる未知の生命体によって人類が絶滅の危機に追いやられている。人類がこのガドルに対抗するために作り上げた移動要塞の名称がデカダンスである。以下、『』付きのデカダンスをアニメ作品名、カッコなしのデカダンスをこの移動要塞を指すものとする。

まず視聴時に不思議に思ったのが、人類最後の安息の地といってもよさそうな移動要塞になぜデカダンスという名前を付けたのかということである。デカダンスは作中では全く違う意味で用いられているのかもしれないが、ここでタイトルにある通り、DECA-DENCE、つまり退廃的な傾向もしくは退廃を意味するフランス語décadenceからとられたものだろう。

デカダンス
「衰退」を意味するフランス語で,ローマ帝国の末期や江戸化政度の文化的爛熟のはての頽唐をいうが,特に 19世紀末のフランスに興った文学的傾向をさし,世紀末芸術,象徴主義と同義に使われる。(中略)伝統的な規範や道徳に反発して,病的な情調を重んじ,極端に洗練された技巧を尊び,異常,珍奇,退廃的な美を追求する耽美的な傾向を示す。

出典:コトバンク「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」

 滅びゆく退廃的なものを意味するデカダンスをわざわざ人類の最後の安息?の地の名称として使うことになんらかの意図を感じた。人類の希望としての移動要塞ならHOPEとかもっと前向きな言葉をつけそうなものである。その真意を知りたいところだが、一話の時点では確実なことは当然何も言えない。だが、妄想であるという限りにおいて、その断片から妄想することは許されてもいいはずだ。

 それに関して視聴中に気になった点が一つあった。作中での繰り返される無駄と有益の対立の強調である。あるいはこういってもいい、不完全なものと完全なものの対比、情熱と効率の対立、夢とリアルの対立強調とも(まあリアリストの大人と夢をあきらめない純情な若者という対比はよくあるものかもしれないが)。

 一話作中では、装甲修理人のカブラギが不穏な行動をとっていた。飲んだくれて道端で立ち小便をしようとしたところでなぜか倒れた男から、カブラギはチップを回収し、怪しい人物?と会話をするというシーンである。エラーコードという意味深長な単語も登場したが、それはともかくこの会話はある符牒で終わる。

「世界にバグは不要です」

 一話の時点でしかないので憶測にすぎないが、バグとはコンピュータープログラムの欠陥を意味するバグを指していると私は捉えた。バグは欠陥であり、それはシステム全体の効率を低下させる、ないしは停止させる原因になる、だから排除してシステムを効率化しなければならない。それが有益だ。怪しい人物からそんな思想を感じた。

 そのすぐ後のシーンでナツメとカブラギが会話をするシーンがある。ここでナツメは何も望まないことは死んでいるのと一緒だ、と主張する。ガドルとの戦いを終わらせ平和をもたらすために戦士になりたいというナツメに対しカブラギが、ガドルとの戦いは終わらず、それならいつか無駄死にするよりギアに尽くしたほうが効率がいい、それに装甲修理人は装甲修理人として生きるしかない、これがリアルだ、と言ったことを受けたものだが、間に「世界にバグは不要です」のシーンが挟まり、カブラギがおそらくは乗り気ではないながらも少なくとも一話時点では「世界にバグは不要です」の怪しい人物側にいるということが示唆されているだけに、バグ(不完全なもの、欠陥、逸脱者)をつぶすような姿勢=リアリズムの姿勢は死んでいるのと一緒だ、と言われているような気がした。

 まるで生きることはバグ(欠陥、逸脱)に対応するといわんばかりではないか。

 生きることは美しく、不完全か完全かで問われれば、欠陥がない方がよく、見ていてほれぼれとするものであり、逸脱せずに健康であることこそが生きているということの内実なのだ、というのが普通の感性ではないだろうか。だが、ここで示唆されている立場はその反対である。

 生きるとは効率的にリアルに順応することではなく、不完全でも、欠陥でもいいから夢を追うことだ、と。



 ここでは妄想力を投下してこの定式をさらに一歩進めたいと思う。つまり、生きるとは効率的にリアルに順応することではなく、不完全に欠陥として徹底的に堕落して存在することであり、吐き気を催すもの、病的な、醜にこそ生がある、と。

 このような姿勢をなんというかおわかりであろう、そうdécadenceである。

もしかすると、この無駄=生 vs. 効率=死 という対比が今後の展開の鍵にになってくるのかもしれない。興味深いことに一話のラストは次の言葉で締めくくられる。

「それでは有益な一日を」


 この作品では、生きることをもっともラディカルなかたちで称揚したいがために、décadenceという直観的には人類の希望にも生にもつながらなさそうな単語を移動要塞、およびタイトルにつけたのではないか、と一話の時点で妄想してみる。

 憶測に次ぐ憶測によって架けられてきた妄想の橋だが、そろそろ倒壊しそうなのでデカダンスという名称と『デカダンス』という名称について妄想するのはここらにしておくとしよう。



ーーーーそう考えると、キモカワのパイプこそあの世界でもっとも”生きている”のではないか。



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