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語りのメロディー

「語り継がれてきたからと言えるでしょう。」

文の最後の一行は、何回も繰り返して読むと、頭の中が真っ白になった。

かたり、つがれて、きたから、といえる、でしょう。

何かの呪文のような、つ、つがれられなかったよ。

何回も読みながら、言葉の形は徐々に溶けていってしまい、単純な音声に戻った。

その音声は、まるでオリンピックの体操選手のように、ぴょんぴょんしていた。

かたりの「た」がちょっぴり跳んだ。

つがれてきたからの「が」と「た」が連続に躍った。

そして、最後の一歩を踏み出す前に、しゃがんで大きく跳ねて、「と、いえる」って空中で2回宙返り2回ひねりを行い、「でしょう」で着陸した。

先日、朗読のグループに入った。毎回短文が出るが、週2回の頻度しか参加できなかった。たった二分間の短文をシャードイングするだけで、二時間もかかった。いつも日本語を喋るとき、発音はフラットな感じだと思ったが、先生の朗読の声を聞くと、とても激しくて、心が震えた。また、時には古文と方言についての文があるので、日本語の音にもっと敏感になった。

発音は難しくないと感じたが、連続に言葉を結ぶと、コントロールができなくなるケースが増えた。例えば、「語り継がれてきたからと言えるでしょう。」を分析すると、「語り継がれて」まで自然に頭の中に出てきたが、次の「きた」と「から」の二重の付属語がどうしても接続できなかった。

シャドーイングにより、さらに自分の中途半端なアクセントに気が付いた。例えば、「目標を立てる人は多くいます。」「たてる」、「ひとは」、このような抑揚を連続に話すのは難しいと思った。そして、「おおくいます」を言う時、以前よく上がって、音符のレミミのような「おおく」で、間違ったアクセントをした。調整したら、「おおく」のキーはとても低いので、「います」を発するとき、いつも呼吸ができなくなってしまい、気が付かないと気を失う恐れがあると心配した。

最近の一言といえば、「心温まる」に立ち向かった。漢字はやさしく見えるが、こころあたたまる、こころあたたまる、何だ、このねばねばの抑揚は。手強い相手だ。

(2021.9.6)

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