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《休憩室+終末漏》 考えない日記:ネーブル カボス ムール貝

庭のネーブルオレンジを収穫する相方。私は家庭菜園ともいえない、いい加減なコーナーのグズグズになった縁を直す。
一人で抱えては運べないほど重い大谷石の板を縦にして、左右に少しずつ振りながら移動させる。この方法で正しいと、以前友人の石屋さんに聞いた。その縦長の石が移動する姿は、映画インターステラに登場する四角い未来マシン、ターズを思わせる。
相方がネーブルオレンジをジャムに仕立てている音を聴きながら、年始から読み始めた小島信夫『うるわしき日々』(読売新聞社)を読了する。

夕飯を牡蠣鍋にしようと決めて近所のスーパーへ出かけ、木綿豆腐などをカゴにいれたが牡蠣が売っていない。別のスーパーならと思い、車で走る。ない。
以前大きな蟹が水面から頭を出し、こちらを覗いていた水槽をしばらく眺める。魚影は少なく、縞色の薄くなった石鯛が数尾、回遊していた。
既に牡蠣鍋神となった口内をなんとか鎮めようと、相方と二人で冷蔵コーナーを徘徊。たまたま見かけた最後のワンパック生ムール貝とセリを抱えて帰宅。
味噌鍋仕立てにしてもらったそれには根っこも入っていて、大きいことを除いてはムール貝の中心の、毛のような部分と見分けがつかなかった。

24.01.08


京浜急行普通列車の扉が開く。駅舎の向こうに随分旧式な瓦を乗せた屋根が見える。数日続いている強風で、その古い屋敷の雨樋が波打つように揺れている。片側の留め金が外れているようだ。どしんと構えて動かない家屋の縁で、雨樋は柔らかい素材なのだ、といわんばかりにくねくねと動いている。それは真剣な話をしているのにどうしても止めることのできない皮膚の痙攣のように、どっしりとした面構えの屋敷を滑稽に仕立てるのだった。

24.01.09


まいったな、

そう笑いながら呟き、店主は店の扉を開け、強風に倒された小さな本の並びを直しに外へ。

入り口正面の棚でハンナ・アレントを目にとめ、屈んでアメリ文学コーナーの小説をパラパラとめくる。
立ち上がり僅かな目眩とともに振り返ると、そこには『小島信夫文学論集』があった。
昼間に読んだ別の往復書簡の中でその本は保坂和志によれば小島信夫の代表作であり、絶版の文字があった本だ。(これは勘違いで違う本だった。)雨に当たったのか、箱は傷み、本体にも染みがある。間にボロボロになった帯のかけらの残りのような、茶色い紙片が挟まっている。
その書店はAMISといって九割は古書、時々新しい本といった割合の本屋さんで、小さなお茶を飲むスペースもある。店主は今時の多くの書店とは異なり、店番中にパソコン操作をカタカタするでもなく、お客の話相手をする以外は自分も本を読んでいる。かつてインターネットが広がる前の、多くの古書店主がそうだったように。

お茶してもいいですか、

と、言いかけたところで店主は

もちろん、

と、答えを被せたので、続けて私が

カボスジュース、

と、言ったのが、曖昧に伝わったらしかった。
一間引っ込んだキッチンからは珈琲豆を挽く音が響いた。

実はもう一軒、あとで珈琲を飲むつもりの場所がある。二杯続けては胃がもたなそうなのでジュースにするつもりだったのだ。
鞄を膝に乗せたまま本をめくっていると、お客さんがもう一人。その人も珈琲を頼んだ。
陶器の茶碗が擦れる音。小島信夫の少し傷んだ箱。珈琲カップに添えられたステンレスのスプーン。

けっこう陽が当たるなぁ、まいったなぁ

外の古本の様子に「まいったなぁ」という言葉とは裏腹な笑顔をみせながら、再び外へ出ていく店主。
壁に張り巡らされたポスターや地図や映画のパンフレットやメモのようなもの。往来をゆく自動車。戻ってくる店主。強く吹きつける風。パタンという音。

あ、倒れた、風が強いなぁ、まいったなぁ、

24.01.09 no.2


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