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たまには「DSのタッチペン」に思いを馳せましょう


ニンテンドーDSや3DSに触れてきた人であれば、タッチペンに関する思い出の1つや2つはあるであろう。


知らない方に向けて一応説明すると、DSシリーズは上下2画面のうち下の画面がタッチパネルになっているという、子供に渡すには贅沢な仕様のゲーム機である。その下画面を操作するために使うのがタッチペンであり、DSシリーズの特徴的なアイテムである。


懐かしいね、DSlite



このnoteでは、そんなタッチペンの思い出を綴っていこうと思う。こんな機会でない限り、タッチペンの事など金輪際思い出すことはないだろう。


現在はタッチパネルといえば指で操作するのが当たり前だが、DSの沼に頭からつま先まで浸かっていた当時はタッチペンでの操作に何の疑問も持たなかったし、みんな使いこなしていた。スマートフォンが普及するにつれて「ペンで操作すんのって、なんか変だね」という感覚が芽生え、パラダイムシフトが訪れる。当時、タッチペンを紛失して代わりに指でDSを操作している人をよく見かけたが、彼らは時代の預言者である。


そう、タッチペンは失くしやすいのだ。とんでもなく失くしやすい。あそこまで失くしやすい物体を他に知らない。タッチペンに翼が生えて逃げられたのではないかと勘繰ってしまうレベルで失くす。


これは別に、私に限った話ではないと思う。「タッチペンを失くす」はDSのあるあるとして受け入れられているし、実際私の周りにも失くしている人は大勢いた。逆に、タッチペンを失くさずに使い続けている人を見て「珍しいなぁ」と思ってしまうし、それが自分よりも年齢がだいぶ下と見える子供であった場合は腹が立ったものだった。「DSはタッチペンを失くしてからがスタートである」と思っていたが、それも今思えば暴論である。


私が思うに、タッチペンにも責任がある。もちろん失くす私も悪いのだが、失くされるタッチペンも悪い。だいいち、タッチペンは小さすぎるのだ。使わないときはDS本体に挿入させておくため、だいぶ細くて短い。あんなのを子供に渡して「失くすな」と言う方が無理な話だ。あれを失くさないほどの管理能力を持った子供など、もはや子供ではない。


加えて、DSは携帯ゲーム機なのだ。任天堂から直々に「どうぞ、外に持ち歩いて遊んでください」と言われているのである。子供は素直なので「はい、そうですか!」とDSを公園に、友達の家に、マックに、そして旅行先に持っていく。行く先々で小さなタッチペンを振り回し、超次元サッカーをする(これはイナズマイレブンに限った話であるが)。ボタン操作が必要になれば膝の上にタッチペンを置くこともある。


はい、これでもう準備は整った。そんな調子でしばらく遊び、例えば一旦トイレに行って帰ってきた時なんかに、「あれ? タッチペンがない」と気づくのである。タネも仕掛けもないタッチペン消失マジックであるが、いくら探してもタッチペンは出てこないのだからマジックだなんて呑気なことも言っていられない。DSからはゲームのBGMが流れ続けており、とりあえずプレイを再開しようとタッチパネルを指先で操作し始める。「まぁ、あとでゆっくり探せばいいサ」と遊んでいるうちに、指で操作するのが案外楽であることに気づき、行方不明になったタッチペンは見つかることなく忘れられるのだ。


DSのタッチパネルは指でも問題なく操作できる。ならそのままずっと指で遊んでりゃいい話のように思えるが、子供の心というのはそう簡単にはいかない厄介なモノである。DSを指で遊ぶことは何となく「ムリ」なのだ。やはりDSはタッチペンで操作するものとして認識してしまっているからであろうか。感覚としては、米を箸で食べるか手で食べるかくらいの違いはある。箸文化で育った日本人にとって、米を手で食べるのは抵抗がある。しかしフライドポテトとなるとあら不思議。手で食べた方が美味しいのだ。タッチパネルにも同様のことが言える。DSのタッチパネルを指で操作するのはムリだが、スマホのタッチパネルは指で操作するのが快適なのである。重要なのは操作できるかどうかではなく、様式に則っているかどうかなのだ。


しかし先ほども説明した通り、指でDSを操作することに何の抵抗も感じない子供というのは一定数存在する。そういったこだわりを持たない人はきっと無人島とかで生き延びることが出来る人だから、「指で操作できてすごいねぇ」などと言って褒めておけばいい。


では、私のように小さい事をいちいち気にして無人島では真っ先にオダブツになってしまうような子供はタッチペンを失くしたらどうしていたのか。選択肢はただ一つ。「別売りのタッチペンを買う」のである。


DSの全盛期、ゲーム売り場には大量のタッチペンが売っていた。任天堂が製造したものはあまり売っておらず、別の会社が製造しているタッチペンばかり並んでいた記憶がある。それらは子供泣かせの粗悪品というわけではなくちゃんと公式に認められた商品で、大抵パッケージの左上あたりに「Nintendoライセンス商品」と金色でプリントされており、それが子供心にカッコイイのであった。さすが任天堂。金色にすれば子供は簡単に喜ぶ事を心得ている。


タッチペンには様々な種類があった。DSを買った時に付属されているのは棒の先端に白いペン先がついたシンプルなものであるが、タッチペン市場は白熱していた。例えば、ゲームのキャラクターがプリントされたもの。一昔前の電話機のようにクルクルしたコードが伸びていて、それをストラップにすることで紛失を防止できるもの。さらにはボールペンのようにノック式でペン先を出し入れできるものなど、子供心を刺激するような一風変わったタッチペンがたくさんあった。特にノック式のやつなんかは「最強」な気がして、「DSのプロはこういうタッチペンを使うんだろうなぁ」とぼんやり想像していた。今でこそ「DSのプロ」なんて職業は稼ぎが心配になってどうしようもないが、当時はそんな疑いなど持たなかったのである。


近寄りたくはない


ちなみに私が長く使っていたのはイナズマイレブンのキャラがプリントされたノック式のタッチペンで、ネットで商品名を調べたところ「プロフェッショナルタッチペン イナズマイレブン」であった。どうやら私は相当「DSのプロ」に憧れていたらしい。まずはタッチペンからプロフェッショナルになろうとするあたり、形から入る私の性格は全く変わっていない。


現在でも私はタッチペンを使う。ただそれは「プロフェッショナルタッチペン イナズマイレブン」ではなく「Apple Pencil」であり、失くしたら洒落にならない。「iPadはApple Pencilを失くしてからがスタートである」なんて馬鹿なことはもう言ってられず、オトナになったなぁと感じる。


おわり





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