未来は心と脳ミソで決める。
ウチ、金彩工房takenaka kinsaiでは、父と私2人で「これからの金彩(工芸)」を模索する、をお題目に伝統工芸に勤しんでいます。が、その関係はご期待?に沿うような「師匠」と「弟子」というものではありません。言うなれば「心臓」と「脳ミソ」に当たると考えています。
いきなり言うと「なんのこっちゃ」かもしれませんが自分達では、そう理解しているという事です。(そして、そのように言葉にできてからは、少し仕事がやりやすくなったように思います。今回はそんな話です。)
事件前夜
私たちの関係は、有り体に言えば、「職人(父)」と「デザイナー(子)」でいいのでしょうが、それは外部の人にとっての理解の仕方であって、実際はそこには収まりきりません。
父はアイデアマンであるし、私も製造に携わっている。製造と設計と割り切れるものではない。だから、違う言葉を欲していました。(それで特段、困ったことがあるわけではないのですが、とにかくしっくりこない・・・。)
そんな折、とある出来事(事件?)が起こりました。
しょーもない事件という転機
オリジナル商品を販売し、一年経った頃、大規模な展示会に出展した事をきっかけに、大きな仕事の話が舞い込みました。(具体的に書いて、迷惑をかけてはいけないので曖昧に進めます。ゴメンナサイ。)
年間を通じての加工依頼で、その売り上げがあれば、新規に雇用したりといった新しい展開が臨めるほどの金額となり、ウチのような小さな事業者にとっては転機ともなりうるお話でした。
しかし、その商品企画は、どこかアンバランスで、職人の仕事という「口実」欲しさが透けて見える部分があり、ウチの中でもずっとモヤモヤとした、微妙な空気が流れてもいました。
(・・確かに本物の金彩職人が、本物の素材(金箔)を使って作るのですが、なぜか本物志向の、至高の一品には程遠い・・そういう気配が感じられました。(ウチは箔を貼る職能です。箔を作る職人は別にいます。箔打職人が打つ本金箔はそれだけで一級の工芸品といえる素材です。)
売れるから、お客さんが求めているからコレでいいんだ、という先方の立場も、私個人では、分からないではありません。(柳宗理さんなら、インパルスデザインと糾弾するのかも、ですが・・。それはまた、別の話。))
そんな中、先方さんからお電話頂いた際、父が電話を代わってくれ、というので珍しいなと思っていた矢先、事件が起こりました。開口一番、父は言いました。
「あのしょーもない〇〇に、ホンマに本金(箔)貼るの?金箔打ってる職人も泣くで。」
ぎゃーー、最悪。言いやがった!と総毛立つも、後の祭り。時間をかけて進行していたこのお話はこれでキレイさっぱりなくなりました。
(先方さんも、工房に足を運んで下さり、設備環境などを確認頂いた上で起こった事であり、本当に失礼、かつ、ご迷惑をお掛けして、申し訳なかったと度々反省しています。まだ、自分達の方向性が定まっていない頃、それ故の失敗談の一つです・・。)
ただ、電話を切った後、ひとしきり口喧嘩し、呆れる一方で「ウチのおとんは、なかなか、やるな」と清々しく思った部分も少なからずあったことは白状しておきます。
父の職歴は50年を優に超えますが、その経歴の中で、しっかりとした価値観、仕事の流儀が築かれているのを実感しました。今回は失敗したけれど、これからは父の流儀に従って行く末を決めれば良い。そもそも父があるからtakenaka kinsaiがあるのだから。そうすればtakenaka kinsaiとして大きく間違うことはない。そんな風に思えました。
(今、振り返れば、おそらく、先方にはものづくりに対するリスペクトが足りなかったのだと思います。父が箔打職人に当たり前に払っていたリスペクトが伝わってこなかった。だから、流儀に反し、元からどう運んでも「三方よし」とはなり得ない展開だった・・。
そして、オトンに対するリスペクトが足りてなかったのは、私にも当てはまることは自戒せねばならない・・。)
頭でっかちはよくありませんよね。
この失敗から学んだことは「やっぱり理屈じゃないよね」という当たり前の事でした。理屈では良かれと思って臨んでいても、ハッピーになれるかは分からない。頭では「青信号」でも、心は「黄、赤信号」。そういうケースは、日常にありふれている、普通な事。
だから、それ以降takenaka kinsaiは、都度ごとにブランドの魂そのものといえる父にお伺いを立てる事を、脳ミソである私は怠りません(アレコレ考える&外部との意思疎通、意思決定は私の役目。)そういうパートナーシップが自然と築かれました。それがリスペクトの形であり、ハッピーのための最低条件、そのように思えています。
・・・もっとも、父とは今もずっと意見の食い違いやケンカが時折、発生します。そして、どのような場合も、父の言い分は「オレ様に対するリスペクトが足りない!」に要約されるように思えています・・笑。
職人さんという生き物は、かくも気高く、繊細なハートの持ち主なのです・・。
↑takenaka kinsaiのロゴは父の落款を少し整えただけ。デザイン自体は事件以前に作ったものですが、父の想い(ハート)を整えて発信するだけ。というブランドの性格が、ちゃんと表われていました。
瑞々しくきらびやか。「これからの金彩」を模索しています。 ▼instagram https://www.instagram.com/takenaka_kinsai/