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いい子でいなさいの呪縛

許されたい気持ち、みんなさんにはありますか?今日は私の許されたい気持ちについて書こうと思うよ。

私は、小さい頃から、人のいいところばっかり見つけるのが得意で、嫌だなあと思う人のことすらこの人にもきっといいところがあるのだと思いながら、そんな人を受け入れながら生きてきました。

一見そう聞くと素晴らしい感じがしますが、そうではないのです。

なにが、そうでないのかというと、私たちは小さい頃から「みんなで仲良くしなさい」と言われ続けて生きてきました。少なくとも、わたしはそうです。しかも嫌いになってしまったらなんだかいけないことなんじゃないかと思ってずっとずっと生きてきました。

でも、今人生で初めて人のことを嫌だなと自覚した瞬間や、この人の言ってることはホントなのだろうかという気持ちや、ちょっと他人を見下してしまう気持ちが初めて出てきたのです。

今まで、どれだけ、自分の嫌いや嫌に蓋をしてきたのでしょうか。

どれだけ受け入れなくても、いい人を受け入れてきたのでしょうか。

どれだけ、いい子に囚われて生きてきたのでしょうか。

この、感情になった時初めてだったので正直戸惑いました。あれ?自分嫌なやつかな?って

思わず、友達に連絡しました。そしたら、「そんなの当たり前だよ。だって人間だもん」って返ってきて救われました。

正直、そうなのー?!ってびっくりした。みんな嫌いな人はいたりするのはあるのだろうけど、ちょっと見下したり、こいつなんなの?って思ったりするのは私は初めてで。なんていうか頭でわかっていても腹でわかっていなかったと言うか。腑に落ちてなかったというか。

自分が嫌いと思うことを許せなかった。きっといい子の呪縛から逃れられなかった自分が初めて、その呪縛から解き放たれようとしています。

もう、いいよね。嫌いになっても。自分の気持ち、1番大事にしていいよね。

いい子でいたかった私、許しておくれ。私は、私であるために、ちゃんと嫌いなことをわかっておきたいんだ。

わたしが、いい子だったのはきっと家庭環境にあると思います。いい子になりなさいなんて、一言も言われたことはありませんが、母も父も人格者なのです。

人のいいところからはじまる会話を毎日聞いていました。愚痴も言わないし。そして、どんな悪い人でもいいところは必ず一つはあるのよと教わりました。

あと、社会の価値観みたいなのの刷り込みもあります。

それを自分の価値観にしてしまっていたことに気がつけました。

あと、自分が嫌いになったらその嫌いが返ってきそうで怖かったのです。

でも、もう大丈夫そう。自分で自分を守れるし、両手に握れる量も決まってる。背負える荷物も決まってる。

だから、いい意味で、いい人ぶらずに正直に生きていきたいです。

まだいい子ちゃんの私がいるけれど、本来の私に還帰るために許します。

いい子ちゃんの私が、性格悪くない?とか言ってくるけれど、好きなもの嫌いなものがあって当たり前なのだから。いい子ちゃんの私、もう許してください。

私もいい子ちゃんだなと感じる人へ

直接、その人に嫌いですとか攻撃しないのならば、いくらでも嫌いでいいと思う。

みんなで、自分の嫌いを大切にしない?

好きも大事だけど、なによりも自分で嫌いなことを知っていて、ストレスを減らす。全部大事な気持ちだから。

これは、人に限らずだよね。

いい子ちゃんだった、私とみんな頑張ったね。もう堂々と人を嫌いになろう。

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