夜のほしぞら瞬くそのとき | シロクマ文芸部
約1700文字
珈琲ともあれ口に含む爺が部屋の隅より観る
「またか御嬢」
ベッドのうえパニエで膨らませたドレスを着てすわる女の子がシーツを握りしめて泣きつづけてまったくうるさい
「こんどのひとほんとうに素敵だったの死にたい信じてすらっとして指がきれいで優しくて素敵で死にたい髪もふわっとしててすっごく撫でてあげたくてお願いしたら触らせてくれてくすぐったいよって言ってくれて死にたい素敵で」
爺がニコチンガムをガシガシと頬張る
「喫っていいわよこんなドレスなんてもう要らないものわたしには似合わなかったからあのひとは死にたい」
「御嬢」
「死にたい」
想像するんだ、炊飯器を。
研いだ米がまもなく炊きあがる。
想像するんだ。
メロディが流れる。
わかるだろう、知っているだろう、そのメロディだ、炊飯器のなかには、
御嬢、なにが入っている?
「ごはん」
そうだ。御嬢の母上は、
「下にいるわ、キッチンでなにか作ってるわ」
きみが好きなのは?
「ごはん」
君のいうあのひとは炊飯器のなかにはいない、
「あたりまえよ、バカじゃないの」
あるのは炊きたてのごはん、または炊きあがったのに君に食べてもらえない、ごはんだ。
ところで、いまのその音はなんだね?
「うるさいわよレディーに失礼でしょ」
ドレスを脱いでいつものイモっぽいジャージに着替えなさい、リラックスして、ごはんだ。
「ばかにしないで」
御嬢が大事だから、リラックスしてほしい、そしてごはんはどんなやつよりも君を満足させる。
「ばかにしてるでしょ」
「御嬢のその恋のときめきがなにを埋めるんだ?」
女の子がふたたび泣く。
「君はばかじゃない、だからいま泣いているんだろう」
「お爺ちゃん妖怪のくせに」
「御嬢、式神というのだよ」
「お爺ちゃん聞いて、よく聞いて、話すわ」
わたしはキスがしたかったの、プラネタリウムに行きたかったの、ほんとうの星がみたいっていって連れていってもらって、夜空の下でキスがしたかったの、それからいつのまにか連れこまれちゃって、エッチしたかったの、手をとりあって、見つめあいたかった、そのあと、語りかけあいたかった。素敵なそのひとと、夜にふたりで。
爺はうつむいて珈琲を飲んでいる、地面を見ている。
「お爺ちゃんうつむいてないで、いまの聞いてたの?」
「まあ、その、なんだろう、その物語」
ラブストーリーよ!
夢ものがたりだろう
ラブストーリーよ!
勝手を言うもんじゃないよ御嬢、それは恋じゃない、ただの筋書きだ、だれも知らない筋書きだ
ラブストーリーなのよ!
ごはんを食べようじゃないか、御嬢
そんな、こんなの、いつになったら、わたし、誰と恋ができるの?
ごはんを食べたら、その答えが呑みこめるようになる
……ほんとうに?
無論
……着替えるからあっち見ててよ
勿論
おいしかったかい
「もちろん」
おちついているんだな
「とうぜんよ」
ああ、また泣くんじゃない、君のお母さんのごはんだものな、とうぜんだ
「ことばが要らないくらい」
泣くんじゃない、どうしてなんだ
「恋がごはんに負けたから」
そうかな
「馬鹿だったわ、ごはんのほうが素敵よ」
言ってたその男よりも?
「うるさい」
どうしてだい
「だって、おいしかったから」
御嬢、すてきな顔をしているな
「また馬鹿にしてるの!?」
飢えた顔していると獲物は逃げる
「食べられちゃうからって?」
青い海のさかなたちとおんなじなのだ
「……さかなとおんなじ」
さかなとおんなじだ
「渇いたさばくの動物たちとも?」
おんなじだ
お爺ちゃん、恋を知ってるの?
「知識だ、しょせん、我は鬼の眷属だ、ひとでない」
ひとでなし
そのとおり、ひとが羨ましい
なぜ
「ときめくこころがあるから」
いまは要らないわ、眠りたいの、ねむくなってきたわ、眠くなったの
「ときめいたままでいい」
眠るわ
ねえお爺ちゃん、ほんとに鬼なら夢にしのびこんできて、わたしの夢のなかに天の川をかけて、夜空を見せて
簡単だねぇそんなこと
「わたし、ときめいていたい」
またたかせてみせよう、たかが星空、
さあ目をつぶって
「やっぱりわたし、子どもみたいね」
いつでもそのままでいいんだ、
御嬢、
ねむっておくれ
ああ、夜のおそらが、みえる
女の子の手首がちからを失い、シーツのうえにぱたりと落ちる。部屋のあかりはすべて消え、爺もいない。
彼女は寝息をたてて眠っている。
初稿掲出 2023年11月1日 夜