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思い出のバイク RZ50 その2

RZ50がやってきた!
ヤァヤァヤァ!

と言うわけで第二段です。
純正の画像が残念なことに一枚もございません。泣
とまぁ

僕のもとにきたこのバイク。
RZ50(RA02J)

このまんまの状態できました。
当然ながらミラーも左右あり、メーター、インジケーターも綺麗。
キャリパーも金色!ゴージャス!
メタリックで深いブルー!

軽く試走してみて、翌朝学校に向かう事になった。
(バイク通学は2年から許されていました)

気持ち良い加速!
だけどリミッターがなぁ…
頭打ちするしなぁ…

となってまず手をつけたのがPOSHのリミッターカットC.D.I‼︎


24世紀の道具だよ(ハスキーボイス)

もう原チャリ小僧御用達でしょう。
60km/hで頭打ちして泣いても笑ってもそれ以上出ない!って言うのを解決してくれます。
※原付一種は公道では30km/h厳守です。

こいつをつけたあたりから徐々に熱が入ってくる。
とにかくいろいろやった。
何にも知らないでいろいろやった。
ラジエーターの水をマメに変えれば良いんじゃないか?!と思いつき(ほんま思いつき)水道水を入れてヘッドガスケットがだめになり、ギアオイルと混ざってドロドロになったり(高温注意ランプが点く)
ハイオクはエンジンに良い!と2サイクルエンジンのRZにハイオク満タンにしてかかりが悪くなったり(4サイクルエンジンにしか向いてない)
こういったしくじりを繰り返していたとき、バイクに詳しい友人からお叱りを受けたりなどして徐々に修正していった。

ボアアップしないで速くするにはどうするか?と考えてスプロケットと呼ばれるチェーンの歯車の番手を変えてみたり、レスポンスを上げる為にリードバルブと呼ばれる部品をカーボン製のものに変えたりなぞした。

※原付一種は公道では30km/h厳守です。笑

またチャンバー(マフラーも変えた)

リップスチャンバー


モノによってはけたたましい排気音になり整備不良扱いを受けるマフラーもあった。
と言うのも表向きはレース用との名目で販売されており公道使用不可なモノが大半だった。
あんまりにやかましいのは好きじゃないのと、走ってたらどこからかビール瓶が飛んでくるぞなどと聞いてたから(ほんまかい)マフラーには本当に苦労した。
県西部にいた友人に売って貰ったバイクのパーツの中にMBX用のチャンバーがあり、そいつを流用した。(今思えばほとんどガラクタ)
たしかDGWというチャンバーでまぁまぁ良いやつだったんじゃないかな?それが最初のマフラー交換でした。

この頃がDGWのマフラー。
膨張室からサイレンサーまでのパイプが細く長く伸びている。
この部分はたしかビニールハウスなどに使う細いパイプだった。笑
このようにパイプを長くすることで加速に効果がある。とかなんとか友達に教えてもらったので…
これにより2サイクルらしいカン高い音ではなく、珍しいほどに低音を出すことに成功した。
これもだいぶ気に入っていたけど、ある時に手に入ったスクーター用のデイトナのサイレンサーを付けたところ、純正より僅かに音量が上がる程度で燃費も走りも格段によくなった。
以来ずっとその仕様に落ちついた。

これが最終的な仕様。サイレンサーはデイトナ。

外装にも大きな変化があった。

ビキニカウルがついているが社外品とは言え、カワサキのAR50Sのビキニカウル。
これにXS250Sの箱型メーター。
このメーターが本当にかっこ良かったけど、グリス切れなのかタコメーターがカン高い音を立てるようになった。
夜中に山道を走っていると突然
「キャーーーッ」
などと鳴るもんですからもう死ぬほど怖い。しかも前兆がない。
しばらく我慢したけど、TW200の純正のメーター類が手に入り、それに落ち着いた。

ヤマハ XS250S


フェンダーはヤマハのYB-1のメッキフェンダー をつけたこともあったがこれは微妙だった。
MBXの独特なフェンダーも良かったけどブレーキしたときにあの出っ張りにラジエーターが当たりフィンが潰れたのでボツ。
フェンダーは純正に限るばい。

ホンダ MBX50

シートはダブルシートに憧れてCD125Tの社外シートやこれまたカワサキのAR125Sの純正シートを無理やりつけてみたりした。笑
純正のままだとシートレールが足りないのでなんらかのパイプを切って溶接し足して伸ばした。
タンデムしないのにタンデムバーつけたり。

ちなみにこういった溶接の類はほぼ全て友人にやってもらった。
今思うと本当に世話になりっぱなしだった。

結論、純正シートで厚みがあるシートを流用した方がケツが痛くならず快適でした。
よくわからない社外シートをつけるとケツが痛い&雨後に座るとパンツにまで水分が染みてくる。
最終的にホンダベンリィ50Sに乗っている友人の純正シートを125用のシートと交換で貰い、つけることにした。

箱型メーター

とにかく乗りやすいバイクに仕上がった。
それに疲れない。
なのでアチコチと走り回った。
休みになると県境を越えて愛媛や香川、徳島にも行った。
しまなみ海道までも行った。
今現在では400ccのバイクまでは乗れるけれど、そこまで行ける気力があるかどうか…

チロルの森の入り口

別子ライン

しまなみ海道 伯方島

天狗高原

かろうじてこのように画像が残っていて嬉しく思う。これでも10分の1くらいだろうけど…
このあと19歳になるかならないかの時にエンジンのいわゆる「抱きつき」によるピストンやらもろもろのパーツが堰を切ったように次々と壊れてしまい、知り合いの方に売ることにした。
いまでもどこかで部品として生きているんだろうか…

後任としてヤマハのDT50にしばらく乗ったがこのバイクも負けず劣らず良いバイクでオフロードバイクの良さを知った。
一足先に自動二輪の免許を取った友人に譲ってもらったのでした。

以上思い出書きでした。

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