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山中山四郎の話
現在の南国市上倉(あげくら)のお話。
皆山集より参照。
宝暦二年、上倉に山中山四郎という人物が居た。
とある日のこと、山四郎は何を思ったのか
身を清めて衣服を新しくし、出かける様子だった。
家内にどこへ行くのか問われるも、ただ
「行くところがある」
とだけ言い残し出て行った。
その日以来、山四郎は行方知れずとなる。
居なくなった日、山四郎の家はおろか近隣の人々まで大騒ぎとなった。
中には天狗に連れて行かれたなどと言うものまで居たと言う。
手分けして探しに探したものの一向に見つからず、村人たちは山四郎の居なくなった日を命日とし、死んだ者として扱った。
それから月日が流れること二十三年。
薪を採りに山に入った者が、山ノ内の黒滝と呼ばれる地で山四郎の姿を目撃する。
驚き慌てて声をかけるも返事はなく、瞬く間に
飛んで消え去った。
この事がきっかけで集落の人々が総出で山を探すことになったが、ついにその姿を見つける
ことは出来なかった。
それからと言うもの一年に二度ほど、山の中で
山四郎を目撃する者があったが、同じように
姿を眩ませた。
殊にその装いが、失踪した日と全く同じであったという。
この山中山四郎さんの家は、もとは
山内という姓でしたが、江戸期に入り
山内家の支配下となりましたので、
時勢を鑑み、山中という姓に変えたとあります。
この山四郎さんの子孫に山中沖衛門という人が
おりまして、この方は仙人とも言うほどに賢い人であったとされています。
当時の世の、人里離れた山村で誰に習うことなく、経を読めたそうです。