空はほんとうに焼けるのか
「夕焼け」という言葉に反して、夕方の空の色はごくみじかい時間しかそのバランスを保てない。その瞬間的神秘も、あなたの審美眼も、宵闇と1日の疲れのなかに溶けていってしまう。
だからせめて、われわれは夕暮れ時、毎日空を見上げるべきなんじゃないかと思う。べつに写真は撮らなくてもいい。
画面をスクロールして得られる刺激や、天に昇っていく数字を見つめる楽しさもよいだろう。
だけど、二度と同じ色で燃えない空と、一定の色を保てないあなたの記憶のなかの空とを、あるいはそのふたつのあいだにあるかなしさを、抱いて夜眠ることが人生なんじゃないかな。
なによりもかなしいことに、わたしは今日、たぶん夕焼け空を見ないだろう。人間というのは、毎秒人生を生きている生きものではないのだから。
人生を生きていない時間に、ひとはひとに会い、時をともにして過ごす。そして、またひととき人生のなかに戻っていく。うつくしいことだ。
それらの行為のコストは、二度と戻らない夕方の空の色なのだ。せめて、目にすることのないその色たちに想いを馳せて、ベッドに入りたい。
「さよならだけが人生だ」という言葉があるけれど、このような意味で、われわれはごく短い時のスパンのなかで、じぶんのなかに無数に存在する人生を生きているのだ。
夕方の空の色に、そしてあなたの記憶のなかの色たちに、毎日さよならを言えたなら、人間はすこしだけ幸福になるのかもしれない。人生を生きていない時間にも、ひとを犠牲にしないですむかもしれない。かなしさだけが人生だから。
やっぱり今日は夕方、なにか理由をみつけて外に出てみようかな。言い訳があるほうが、かわいいものね。