私は、好き嫌いがはっきりしている。
実は、好き嫌いというよりも、もっと極端な話で。
興味があるかないか、がはっきりしているのである。
好きの反対は、嫌いだとか無関心だとかいうけれど。
私の場合、好きの反対は「興味がない」なのだ。
興味がないものに、まったく時間を割こうとしない。
可能性は無限だし、夢はいっぱいあっていいけれど、時間とか資金とか、物理的なものは有限だから、大切にしたいのだ。
モノとかコトの好き嫌いも、なんだけど。
人の好き嫌いも、同じくで。
ぶっちゃけ、好きか、興味がないか、なのである。
でも、それって「損得」とは違う。←大事
目先の損得より、興味があるかないか
人として好きかどうか、がまずあるのは確かなのだけど。
会った瞬間に嫌い、っていうのはまずない。
初対面でちょっと苦手、はある。笑
でも、そこから「嫌い」に発展するにはきっかけや明確な理由があるものだし、苦手だとそもそも近寄らないので、嫌いになることはない。
(人見知りも若干あるので、近寄らない=苦手でもない。←大事)
人を嫌うって、すごくエネルギーが要るし。
そもそも、嫌いって好きの裏返しだったり、何かしらそこから学ぶべきものがあったりするからなので。
憎いとか毛嫌いとか妬むとか、そういうのは興味ない。←大事
仕事とプライベートの境目のない生活をしているけれど、目先の損得よりも、長い目で見て、継続的に時間とエネルギーを注げる対象なのか?が大事だ。
誰にでも、好きなところとそうでないところはあっていい
人には多面性があって、どこか一部が苦手もしくは嫌いでも、それがその人全体を嫌う理由にはならない、と思う。
苦手なところがあったとしても、それ以上に好きなところに焦点を当てて、プラスマイナスでプラスにして、結果として「好き」な人が周りにいっぱいな方が人間関係は心地よい。
初対面で苦手フィルターがかからず、興味関心が似ていたり、共通点が多かったりすると、必然的に顔を合わせたり、一緒に過ごす時間が長くなる。
限られた時間を一緒に過ごす機会が多い=そもそも好きじゃないとそうならない、という理屈。
それに、よっぽどのことがないと、嫌う理由もないし、「嫌うことに使うエネルギー」も節約したい。笑
だから、好き嫌いがはっきりしているとは言っても、嫌いな人って基本的にいないのだ。
性善説派である。
友達がたくさん欲しいとか、たくさんの人に好かれたいとは思わない。
いつだって、量より質である。
人間関係は、やっぱり努力しだい
書いてるうちに気づいたけれど、私の「好き」のバロメーターは、使う時間とエネルギーにしっかり比例している。
モノやコトについてはもちろんそうだし、人についても「会う機会が多い」「一緒に過ごす時間が長い」なのかもしれない。
でも、めったに会わないし絡みもしないけれど、大好きな人もいる。
(どないやねん)
価値観が似ているというか、同志!って感じるとか、そういうのがあると、時間と空間を超えて、再会すると一瞬で埋まる感じがするかも。
そういう人とは、過ごす時間の密度がとにかく濃いのだろう。
深いところで繋がっている気がするから。
巷では、「好きなことしかしない」「嫌いな人と付き合わない」と声高らかに言われているが、そういえば、そもそも嫌いなことを延々とやった記憶がない。
「プラスマイナスでプラス」(結果として好き)を、ずっと実践しているからかも。良いところ探しが得意だし、好きになる努力をしているといえば、そうである。
好き嫌いって、なんだか奥深いな。