孤独について
「貴方が恵まれてる人間にいくら嫉妬しても貴方自身が豊かになることはない」
そう言ってる人間は、あまりにも人間の善性とシステムの永続性を信じ過ぎている。当然だがゲームで負けが確定した人間は、勝つこと以外の楽しみを見出したり、ゲーム自体を放棄したり破壊しようとする事も珍しくはない。他者の足を引くことが目的になった人間は無敵だ。それは孤独な人間の末路だろう。そうはなりたくない。
それは日陰の石を持ち上げた時の、居心地の悪そうな虫のようだった。それの中にはハリガネムシがいるのだろう。走光性の誤認。水面に反射した光に向かう虫だ。光に魅せられ、手段が目的化した愚かな虫。それが私だ。
私は他人が嫌いだ。孤独が嫌いだ。私が嫌いだ。しかしそれらを愛している。その自己矛盾が苦しい。アンビバレンスというずるい言葉がある。私は誰かを愛したいし愛されたいと望んでいる。けれど私自身の性分はそれを遠ざける。客観的に見て私なら私のような人間はありえない。私は孤独であるべきだ。
私はよく人を試してしまう。幼児のように、安心を求める。だが愛情を試す行為は愛情を壊す行為だ。贈り物を地面に叩きつけて強度を確かめると、壊れるのは贈り物だけじゃない。その信頼関係はひとえに相手の慈悲だ。私自身を貶める度にその行為が私を信頼してくれている人を蔑ろにしていると知っていながら。自分が大切にできなかったものを、他人が大切にしてくれると期待するべきじゃない。
私の孤独を癒せるのは私自身であるべきだ。他者の愛は気まぐれで偶然だ。そんな手で掬った水面に浮かぶ月のようなものに縋るべきではない。他者の苦しみや孤独や愛を理解できないように、私のモノもそうだ。そんな答えを得ようとしない告白を独白と呼ぶべきだろう。自慰行為であり自傷行為。まさに独擅場。
しかし、それでは余りにも面白くない。そんな一人舞台の何がおかしいのだろう。観客の私一人笑わせることもできない。せめて孤独であるとしても面白おかしくある方が良い。孤独感が消えずとも、他者が煩わしくとも、せめて見世物としては面白く。自己矛盾のまま、愛を振り撒く。芋虫から羽化。
なんて考えていたところで、大きく世界が変わることはない。性格が変わることもない。しかし、「変わりたい」「変わろう」として積み上げた時間は、私自身を少しずつ認められるはずだ。
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