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タバコをポイ捨てするおっさん

 この令和の世の中でもいまだにタバコをポイ捨てする人を見る。電車で大股を開いてスペースをとる人、ウインカーを出さずに車線変更をする人、ベルを鳴らして人をどかそうする自転車に乗っている人を見る。住宅路の真ん中を自分が世界の中心かのように走る車、歩道を三人以上で横並びに歩く人、自分の行動が周りにどんな影響を与えるか想像力のない人たちを見る。
 何故そんなにも考えなしなのだろうか。自分勝手なのだろうか。他人を思いやれないのだろうか。そんな人間を見て、私は苛立ちを覚える。怒りというには小さな、モヤモヤとした重たい不満を募らせる。死ねよ。と心の中で呟く。そんな自分にも嫌になる。
 私は昔からそういった想像力がない人が嫌いだった。自分にもそういったトキがあることは分かっている。誰だってそうだ。いつでもマトモなパフォーマンスができる訳ではない。ミスをしてしまう時がある。そもそも想像力を養う教育を受けていない可能性だってある。自分にとっての常識が相手にとってもそうであるとは限らない。
 なにが言いたいのか分からなくなってきた。出勤途中にムカついたので書き出したが時間が経つとどうでもよくなってきた。想像力のない人はどこかで手痛い失敗をして学ぶしかない。誰かに迷惑をかけて、もしかすると取り返しのつかない間違いを犯すかもしれないが、仕方ない。そういうものだと受け入れる。誰かの失敗を許し、自分の失敗を許してもらう。そうしていくしかない。右の頬を打たれたら左の頬を差し出す。汝の隣人を愛する。しょーもな。
 そんな理想とその時の俺の感情は別じゃん。確かに世界をより良くしていくなら寛容さは大事だし多様性は尊重すべきだし教育は必要だし愛は素敵だ。でも失敗されて迷惑をかけられて寛容さを強要されたり許しを与えるべきってのは違うでしょ。ムカつくものはムカつくしウザいとか死ねとかは思うし許さなくてもいいいでしょ。被った側が許すとか受け入れるとか選択するのであって部外者や加害側があーだこーだ言うのはキモすぎるだろ。
 ということでタバコをポイ捨てする奴、死んでくれ。

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