乳がんになって#20_左乳房全摘手術。
うぅ子です。
2024年7月26日。昭和大学病院で、乳がんと宣告されて約半年で左胸の全摘手術。振り返っても壮絶な半年。でもやっとここまで来れた。
手術の記憶はもちろんないけど、新しく生まれ変わったこの日のことをお話するよ。
ミッション1 絶食。
わたしの手術は入院2日目の14時15分から。
前日の夜21時から絶食。
当日は朝10時から水分も取れない完全絶食。
食べるの大好きなわたしは耐えられるかと、
そこが一番の不安だった。笑。
だけど入院といういつもと違う環境で、アドレナリンがてでいて、絶食はなんなりとクリア。そして、お水もとれない完全絶食もクリア。
だけど、手術前日の夜に、水分補給のための点滴の針を入れたいという看護師さんからのお申し出は、血管迷走神経反射持ちを理由に、当日の朝にお願いした。
やだもん、針刺されたまま寝るなんて。
寝相悪いし、無意識にとっちゃいそうだし。笑。
ミッション2 水分補給点滴。
わたしは血管ルートもとりづらい上、極度の注射嫌い。抗がん剤点滴も苦戦していた。
そのため、一発で決めて欲しい。
来てくれた看護師さんに懇願に近いお願いをした。新人看護師さんは一旦無言になり、
「わたしは無理なので先輩呼んできます」などと言わせてしまった。新たに来た看護師さんは極度のプレッシャーの中、一発で仕留めてくれた。感謝しかない。
ミッション3 手術室まで徒歩で向かう。
医療系ドラマが好きなわたしは、ベットにくくられながら手術室までいくのかと思ったら、
徒歩でオペ室へ向かうとのこと。
研修医さんが迎えに来てくれた。きっと、この道のりをいろんな患者さんと歩いているのだろう。安心してくださいねって何度も何度もいってくれた。お陰で足取りは軽い。
だけど、入室する前にもし何かあったら家族以外に誰に連絡するのかを確認された。その時、確かにこれから行われる手術で命を落とすこともあるだと、事の重大さに、気がつかされる。わたしの心配は絶食できるかだったからね。
ミッション4 手術台に上がる。
そして、オペ室に入室。
沢山のスタッフが居て驚く。
その沢山の方に見守られながら、ベットに這い上がり横たわる事とになる。
そこが、緊張マックスだった。笑。
上半身のパシャマを脱ぐとき、バスタオルで隠してくれたり。本当に日本の医療従事者は優しい。
執刀は主治医の先生。頑張ろうね、大丈夫だよと声をかけてくれて、肩を叩いてくれた。
そして、手術が終わったら、誰に連絡をすべきかを最終確認される。
麻酔します!と声が響き渡る。
徒競走でいう、ピストルが打たれた。
いよいよ手術だ。
鼻から麻酔を嗅ぐともう記憶がない。
ミッション5 手術後の報告。
手術が終わり、名前を沢山呼ばれ一瞬意識が戻る。先生から、脇のリンパにも転移があったので、腋窩リンパ節郭清もしたよと朦朧な意識の中報告を受ける。
はい、としか答えられず、また眠りにつく。
手術時間の予定は、1時間だったが、結果2時間半。手術が1回で済むように、たっぷり時間をかけて隅々まで取り除いてくれたようだ。
完治を目指してる。
先生はいつも強い口調で話してくれていた。
きっと手術もその思いで、執刀してくれたのであろう。
あとから妹に聞いたが、
先生がオペ室から電話をし、手術の内容の説明をしてくれたようだった。
ミッション6 目覚め、そして尿管を、取る。
手術が無事終わり、約2時間ほど寝ていた。
朦朧としていた意識から覚め、ナースコールをした。
起きました。
あー、喉がいたい。
そうこうしていると、看護師さんが駆けつけてくれ、院内を歩く。痛み止めのおかげか、痛みはほぼない。
あまりにもすたすたと歩く姿に、看護師さんが驚いていたのを覚えている。
そして、尿管の管を取ることができた。
やっとお水がのめる。
また、持ち込んでいた喉スプレーをかけまくる。その日も夕飯を完食させて、またぐっすりと寝ることが、できた。
ミッション7 傷口の確認。
手術前に傷口について、一人で見れるのか、
ケアのかたと、一緒に見るのかという質問がされたのだった。
容姿が変わることにとてもセンシティブなんだ。わたしはひとりで平気と伝える。
何故なら、カツラの説明を受けたときにも感じた、何て言って言いかわからない、あの空気。
そっちの方が耐えられない。
そう、かわいそうなんてら思われたくない!笑
わたしはその小さいプライドでここまで頑張ってこられたんだって改めて感じた。
左胸を見てみる。
大きく縦についた傷跡。
わかるがんは一旦わたしの身体から排出されたという安堵が大きかった。
ここからの治療は、
がんの再発を起きないようにするため。
なんか生まれ変わった気がした。
これからは自分のために生きる。
そう決意した。そして今後は、7月26日は新しい2つ目の誕生日にしようと思う。