コンサルティング会社完全サバイバルマニュアル(アナリスト編)
はじめに
記載にあたって2009年から13年にわたり自分自身に就労と学習の機会、何よりも掛け替えのない仲間を授けてくれた会社に感謝する。そしてすべてのコンサルタントにこの文書を捧ぐ。
当文書は2009年9月から13年コンサルティング会社に勤務し、同社でシニアマネージャまでのキャリアレベルを経験した人間が、自身の独断と偏見にのみ基づき記載する業界内サバイバルマニュアルである。そのため、所属業界・会社の総意ではなく、あくまでも個人の体験を基にした非公式文書となる。
当文書を執筆している2021年は大コンサル時代ともいえる時代を迎えている。筆者が就職活動をしていた15年前に人気上位であった総合商社やメガバンクといった伝統的な国内大企業を抑え、東大京大生の就職人気ランキングでは戦略、総合コンサルティング会社あるいはシンクタンクと呼ばれる企業が上位を独占している。加えて即戦力の補填を目的とした中途採用の積極化により、業界全体では年間で万をこえる人間が新たにコンサルタントとしてそのキャリアを歩み始めている。
かつての激務の印象は社会の働き方改革の波に後押しされながら少しずつ、しかし確実に薄れ始めており、昨今は女性向けファッション誌においてカジュアルかつやりがいも得られる新世代のワークスタイルモデルの一例として紹介されているケースもあり、世間の注目が集まるのもなるほど理解できる。業界内部にいる人間として業界の繁栄を極めて喜ばしいと思う。しかし、一方で非業界経験者と新卒上がりのいわゆる生え抜き社員間における文化や価値観の乖離、一部の社員に対する負荷の集中は世間で揶揄されている通りの現状であり、昨今の急激な変化の副作用が発生していることもまた否定はできない。
筆者が入社した2009年は現在においては到底許容されないような業界特有の長時間労働やパワハラに相当するレベルのしごきに対し、社会・業界全体の問題意識が今ほど顕著ではなかった。そのため、当時のコンサルタント達は物理的な超長時間労働を通して身体でサバイバル術を身につけ、無事その術を身につけたものが生き残り、会社や各プロジェクトにおける中核構成員となっていった(あるいは逆に生き残ったからこそ身についたのかもしれない)。
一方で今この時、新たに大量採用で業界に入社した社員は、筆者世代のコンサルタントが圧倒的な時間によって体得していったサバイバル術を同様の暴力的な手法で身につけることは良くも悪くも法律的に許されていない。
加えて、2019年から拡大したコロナ禍は先輩の仕事の仕方やコンサルタントとしての振る舞いを見よう見まねで盗むことができるオフィスを新入社員から奪い取ってしまった。そのため、ここ数年間でコンサルティング会社に入社した多くの社員はいわゆる旧世代のコンサルタントと比較すると、サバイバル術を獲得する時間的・空間的環境が極めて限定的にしか与えられていない状態となっている。
プロジェクトによって業務内容が異なるために、定型的な業務の「マニュアル」化が難しいという業界特性の中、新入社員らは自分自身の存在意義を自問自答しながら、トライアル&エラーを繰り返し、サバイバル術を徐々に自分自身で獲得しなければならなくなっていると推察する。
当文書は上述した現状を改善すべく、筆者がかつて長時間の物理的な就労を通して体得したサバイバル術を可能な限りで体系的に言語化し、業界の歪みの解決を目指すものである。
当文書は長らく業界の落ちこぼれであった筆者が、業界内で生き抜くために日々何を心がけ、どう行動していたのかを記録・記載するものである。
そのため、既にコンサルタントとして自律的に業務を推進できるようになっている読者であるならば、当文書はおそらく自明のこと、あるいは初歩的に過ぎることのみが記載されていると感じるかもしれない。かつて筆者がこの業界に足を踏み入れた時代に業界に多く生息していた強く賢く、唯我独尊を貫ける往年のコンサルタントにとって、当文書はまったく不要のものになるだろう。
当文書はむしろ、かつての筆者と同様、何かしらの運命の糸に引っ張られ、迷い込むようにこの業界に足を踏み入れ、進むべき方向を見失っている人に向けて、ある一人の先人が手記として残すものである。
筆者は当文書においてコンサルタントの働き方はかくあるべしと、一義的な定義をすることを目的としていない。ここに記載されている一つ一つのサバイバル術は筆者が仕事を生き延びるために、脳内で創造したイマジナリーなもう一人の筆者が、筆者自身を縛る規律である。筆者は、当文書をいわゆる叩き台とし、諸君ら自身がコンサルタントの働き方の解釈をそれぞれ拡張し、より自由で、自分らしいコンサルティングのスタイルを確立することを望む。
記載にあたっては当時筆者が犯してきた数々の過ちを具体定的に例示し、いわば死亡フラグともいうべき分岐点を可能な限り多く示すようにした。
都内私大文系を卒業後、IT、コンサルティングに関する一切の知識を有しない状態で当業界に新卒で入社し、なんら特出した強みがあったわけではない筆者が13年間業界内で生き延びた経験は、同様の背景を持つ多くの同志諸君に対し、何かしらの指針、参考になりうるのではないかと願い記録する。
アナリスト編
本章は新たにコンサルティング業界に足を踏み入れ、業界内ではアソシエイトあるいはアナリストと呼ばれる職位からそのキャリアをスタートする諸君らに向けて記載をしている。
入社する前、諸君らはコンサルタントについてどのようなイメージを持っていたであろうか。スリーピースのスーツと高価な腕時計を身につけ、ホワイトボードの前に3つの論点をMECE(もれなくダブりなく)に並べてクライアントに経営課題を説く、そのような所だろうか。しかし諸君らも入社後少しずつ気づいている通り、昨今の業界の空気は急速に多様化している。中途採用の拡大によってより様々なバックグラウンドを持つ仲間が業界に参画してきているし、働き方改革のムーブメントにより、よりフラットで、よりカジュアルな働き方が広くこの業界の中にも浸透してきている。
実際に筆者はかれこれ2年近くスーツを着ていない。クライアント会議においてもUNIQLOのフリースやスウェットシャツで参加することが一般的になってきている。筆者は特別カジュアルな人間であるか?といえばそういうわけでもなく(ここに議論の余地はあるかもしれないが)、筆者の上司達、統括本部長クラスでもカジュアルな服装での会議参加がここ数年で一般的になってきたと感じている。また、前職が芸能関係であったり、客室乗務員であったりと、多様な経歴を持った同僚と接しながら、日々の業務をこなしている。
ではそのような時代、これまでコンサルタントのイメージを形作ってきていたステレオタイプが急速に変化している時代に、それでもなお、コンサルタントをコンサルタントとして形作っているものは一体なんなのであろうか。
あえて一つあげるとするならば、筆者は「速度」であると考えている。
コンサルティング会社を退職し別の業界に就職したOG、OBはよく、「同僚達と会話のプロトコルが通じない。コンサルティング会社で働くことがどれだけ恵まれていることなのかがよくわかった。」と過去を振り返るという。世間からはよくプライベートのシーンにおいても横文字やホワイトボードを多用するコンサルタント仕草が批判や嘲笑の対象となっているが、まさしくそれこそがコンサルティング会社が赤い彗星が如くスピード感を持って仕事を推進できる理由であると筆者は考える。
Aという事象が発生した場合はB。Cという事象が発生した場合はD。というように、もはや考えたり悩む間も無くインプットした情報はそのまま神経を伝達し、行動にうつっていく。そのような基本動作の集合体がコンサルタントのスピードの正体である。
簡易な例を挙げるならば、クライアントから何かしらの資料やデータを受領した場合、そのファイルをチームの他のメンバーが見れるような場所に格納し周知する。会議が終われば30分後くらいにその会議の議事の要点と期限と担当が割り振られたToDoが展開されてくる。これはコンサルタントであれば誰の指示を受けるでもなくできる必要がある。
また、提案書を作成する、というお題が出たときに、目次構成と各目次ごとに記載するメッセージをドラフトし、まずは骨子のドラフトとして他メンバーと議論するためのいわゆる「叩き台」を作り、内部会議を設定をする。ここまでを一呼吸でできるのがコンサルタントである。
もちろん正しくはこれらはすべて上司の業務指示として降りてくるべきものであるが、すべての指示を待っていて行動するのと、事前にこう動くであろうと意識しておいて日々の仕事をするのでは、結果として両者の速度は圧倒的に異なる。ボールが飛んでくる所に予め身体をおいてサッカーをプレイするが如く、日々次の業務を予測しながら行動できるからこそ、コンサルタントの仕事は「速い」のである。
そしてその基本動作を所属しているメンバー全員が無意識に行い、メンバー間の阿吽の呼吸が実現するからこそ、コンサルティング会社の仕事は組織として「速い」のである。
速度を作る一つ一つの所作はコンサルタントという仕事の中における基本中の基本であり、それらがそのまま諸君らの中核スキルになることはないであろうし、将来において他の誰かとの圧倒的な差になるのか?と言われればそうではない。あまりにも当たり前の前提だからである。コンサルタント、マネージャとキャリアレベルが上がっていくにつれ、業務の複雑さと判断の際に考慮しなければならない変数は増えていくため、基本動作のみだけで解決できることは減っていくだろう。しかし、だからこそ、基本動作一つ一つについて、思考しながら行動していては遅いのである。本章ではコンサルタントの「速度」の要素となっているコンサルタントとしての基本動作を中心に記載したいと考えている。
さて、マニュアルを読むにあたり偉そうなことを述べている筆者が当時どのような人間であったのかを紹介し、まずは諸君達に安心していただくこととしたい。概ね自分語りであるため、興味がなければ読み飛ばしたとしても構わない。
アナリスト編:邂逅:どのようなアナリスト時代であったのか?
2009年10月、筆者は東京某所のコンサルティング会社のロビーにいた。約1ヶ月間の研修期間を終えた後、次々とプロジェクトへ派遣されていく同じ研修を受けていたはずの同期を横目に2週間のアベイラブル期間を経てついに受け取ったアサインメールに指定された場所だった。
2週間のアベイラブルは世界随一のコンサルティングファームに内定したはずの筆者を含む新入社員のプライドを砕くには十分なものであった。筆者が就職活動を終えた2008年の春から約半年後、サブプライムローン問題に端を発するリーマン・ショックは全世界の経済に大打撃を与えていた。筆者が入社したコンサルティング会社のクライアント企業も例外なくその影響を受け、多くの企業は利益の確保のためにコスト削減の余地を探し、コンサルティング会社も仕分けのターゲットになっていた。入社以降は寝る間もないという評判を聞いていた新入社員は、自分達を受け入れる先の仕事がない、という会社の状況に混乱していた。毎日ただ決まった場所、決まった時間に出社し、配属後に役に立つかどうかもわからないWeb研修を検索して受講する。隣には明らかに覇気を失った中年社員が研修コンテンツとは異なることが明らかな動画を見ている。さらに奥には光を失った目で転職サイトをスクロールするまた別の社員がいる。彼らはもしかすると近い将来の自分の姿なのではないか、そんな不安を抱えながら毎日を過ごさざるを得なかった。もはや働けるのであればなんでもよかった。社会から、組織から必要とされたかった。先月25日に振り込まれたばかりの月給は、貧乏学生であった自分にはあまりにも高額であり、それに報いるための何かを求めていた。なぜあの同期はアサインされ、なぜ自分はアサインされないのか。研修中の成績にそこまでの優劣が存在したのか。明確な処遇の差についての説明は与えられず、様々な思惑が頭を巡り、同じくアベイラブルの処遇を受けている同期と研修会場の付近をぶらぶらとうろつき、将来の不安を言葉にするでもなく空気で共有した。
アサインメールはアベイラブル期間2週目の最終営業日にあっけなく届いた。
「9時に本社ロビーで。プロジェクトの担当者が迎えにいきます。詳しくはそこで。」要件のみのメールで送り手の印象はメール文面からは全くわからなかった。舐められてはいけない。これだけが当時唯一の行動原理であった筆者は、約束の日当日、ほぼシルバーに近い光沢のあるスーツを着て、迎えに来るはずの先輩社員を待っていた。
やってきた男は「西崎です」と名乗った。「君の上司は今別件で迎えに来られなくて、代わりに僕が迎えにきた。出会い頭にこんなことを言うのも、あれなんだけど、君の上司になる人は少し優秀すぎる所があってね。まず、アメリカ帰りで日本語のコミュニケーションができない。そして、パフォーマンスの低い部下に激怒してそいつの腕を折ったことがある。君、英語はできる?」
完全な想定外だった。当時の筆者のTOEICスコアは650点程度。外資の会社に来るには高いとは言えないスコアであり、加えて受験勉強以降完全に研鑽をサボっていた自分は特にリスニングとスピーキングに大きなコンプレックスを抱えていた。しかし、ここで出来ないと言えば、もしかしたらあのアベイラブル部屋に戻ることになるかもしれない。そう考えるともはや退路はなかった。頭が判断するより前に「できます」と口から出ていた。
筆者の上司になる男だと紹介された男は、本社ビルと道を挟んだ雑居ビルの一室の2階にいた。髪も目も黒い。どこからどう見ても生粋のアジア系、というよりも日本人に見える。しかし足を組みながら英字新聞を広げ、スターバックスのグランデサイズのコーヒーを持つ姿はなるほど確かにウォール街を思わせた。「ヤマウチ デス」とその男は唐突に握手を求めてきた。(日本語?日本語で話しかけてくれているのか?)、事前情報からかなり気難しい人間と推測していた自分は、混乱しつつもその握手に応じ、「ども。●●です」と完全に日本語で応答した。ヤマウチはなるほどという顔をしながらこう続けた。「Fukkinn、Kyoukin、Johwan-nitohkin, subete kitaereba kimimo…」私は一言も聞き逃すまいと内ポケットに忍ばせていたメモにヤマウチと名乗る男の謎の言葉のメモをすべて記録した。
「PERFECT BODY」
確かにそう聞こえた。ヤマウチの言葉の意味を頭で理解するよりも先に、PERFECT BODYという英語を自分自身の耳が理解できたという高揚感が脳を満たし、その言葉をメモに残しつつ大きく「わかりました」と頷いた。
「わかりました、じゃないでしょ」とたしかに日本語が続いた。ヤマウチはたしかに日本語のイントネーションでそう私に言っていたのである。訳がわからなかった。アメリカ帰りの英語しか喋れない優秀で知られる上司が、私のために日本語を喋ってくれているのか?様々な可能性が脳をめぐる中、下をむき必死に溢れでる笑いを我慢している他の先輩社員を見て気づいたのである。
最初から私は嵌められていたのだと。
「クライアント会議だから準備をしろ、議事録をとってもらうからね」と言われ、配属初日にすぐにクライアント先を訪問することになった。はじめてアサインされたプロジェクトはプロジェクト自体が開始後間もなく、まさしくクライアントとの初回キックオフとも言える会議が筆者の社会人初会議であったのである。筆者は高揚していた。入社から約1ヶ月と半月、研修の成果を遂に発揮する時が来たのである。研修中、プログラミングについては得意な同期に全てを委ねる他なかったが、幸にして議事録については平均以上の評価を得ていた。月給に報いなければならない。そう思い、クライアント先の会議室でメモを取ろうと胸ポケットに手を入れた時、自分がペンを持っていないことに気がついたのである(当時は会議先にPCを持参せず、会議資料を紙に印刷し、議事メモも紙で取ることがまだ比較的一般的だった)。進んでいくクライアントとマネージャ陣との挨拶、もう次の瞬間には最初のアジェンダに関する議論が始まる、そう思った時、筆者は両の眼を瞑り、全ての神経を自身の両耳へと集中させた。まさしく全集中の呼吸である。(この会議のすべての会話を、一言一句、一字漏らさずに記憶してみせる)そう覚悟を決めた時、集中させていた右耳が「ドンッ」という音を捉えた。
隣に座る女性先輩社員がものすごい形相をしながらこちらを睨み、そしてボールペンを机に叩きつけていたのである。
「ありがとうございますございます────────」
そう小声で囁き、筆者はメモを静かにとり始めた。
会議が終わった時、既に時計は18時を過ぎていた。会議場所であったクライアントのオフィスからプロジェクトルームへと戻る途中、先輩達はサービスタイム中のモダンテイストな居酒屋で軽い歓迎会を開いてくれた。軽いつまみと各自1杯だけビールを頼み、それを飲み干し、プロジェクトルームへ戻り、鞄を持って退社しようとしたところ、ヤマウチは「議事、何時にできる?」と問いかけてきた。
振り返った筆者は眼を疑った。既に時刻は20時を回っていたが、誰一人として帰る素振りを見せていないのである。皆黙々と業務を再開していた。
このようにはじまった筆者のアナリスト時代は散々な物であった。そもそも筆者はプロジェクトに入るまで、コンサルティング会社というものがいったい何をしているのか、まったく理解していなかった。コンサルタントの価値というものが何なのか、クライアントがコンサルタントの何に報酬を払っているのか、具体的なイメージを全く持てていなかったのである。そのため、当たり前の結果であるのだが、自分が何をすれば良いのかわからなかった。一方で自分にできることはなんでもやろうという心意気だけはあった。
今の自分にできることはなんなのか?迷った末に辿り着いた結果は、朝の声出し(遅れてくる先輩達に対して怒涛の挨拶)とプロジェクトルームの机磨き、そしてプリンタの紙詰まりを解消することであった。完全にバイトである。偉い人はしばらく筆者をEpsonの保守スタッフと認識していたと後に述べている。
ヤマウチは周囲から学歴詐称を疑われている筆者にあらゆるコンサルティングの基礎を叩き込んだ。議事録作成、基本的な資料の書き方、データ集計、提案書作成、PMO業務のイロハ、メールの書き方に至る一挙一動のすべてである。壮絶な2年間だった。
メールは送信までの間に5回以上差し戻されていたし、議事録に至っては紙から1m離れてみれば赤い紙なのではないか?と思える程赤ペンでコメントが入っていた。筆者の書いた原稿はもはや原型をとどめていなかったが、ヤマウチは決して自分の手で議事を修正することはせず、プリントアウトした紙に赤ペンでコメントを残し筆者自身に修正させた。印刷したA4の用紙の余白に入り切らないコメントは付箋に拡張され、赤いたんぽぽの花のクラフトワークのようになっていた。修正を繰り返し反映してはまたたんぽぽのような付箋付きの原稿を受け取り、そしてまたそれを反映するの繰り返し。一つの議事録を書き上げるのに、通常は会議と同程度の時間で書き上げることが理想と研修では教わっていたが、修正反映を含めて6時間以上の時間を要していた。
当時入社前の研修資料で配られた「やさしいJava」の環境構築を大学の友達に丸投げするほどITリテラシーのなかった筆者は、IT案件全盛期のコンサル会社においてやれることは何もなかった。また、生まれつきの大雑把な性格が災いし、データの集計をやらせれば合計値を間違えたし、両面印刷の資料の奇数ページのみを印刷して会議に持参しクライアントに指摘されはじめて気づいたこともあった。Excelシートの印刷時に、設定を誤り1列ごとに印刷されてしまったのであるが、(再印刷は紙が勿体無い)という謎のサステナブル思考を発揮し、そのままヤマウチに提出して叱責されたこともあった。
あらゆる新卒っぽいミスのバリエーションを片っ端から網羅し、そうして何をすると怒られ、何をすれば怒られないか、ギリギリの線引きを日々体得していった。
ほぼ毎日、家に帰ることができたのは午前0時を回ってからだった。クライアント定例がある毎週水曜日の前日は必ず徹夜になっていた。どのように段取っても絶対に徹夜になってしまうため、あるタイミングから火曜日は快適に徹夜ができるようにスウェットパンツと洗顔料を持参し、事務所の椅子を4つ並べて仮眠し、会議に出席した。「徹夜対策を考えてきた」という筆者の言葉を聞き、何かしらの段取り面の改善を予想していたヤマウチは、より快適に徹夜する方法を考えてきた筆者に驚愕しているようだった。電車で家に帰ることが出来た日はその日が終わるのが惜しく、けいおん!の動画を見て涙を流し酒を飲み寝た。
はじめての出張は大阪だった。初の出張、初の大阪オフィス。約束の場所を訪問すると会議室の机の上に男の体が横たわっていた。オフィスに霊安室あるの?と驚愕したが、幸いにして死体ではなかったようで、東京からの派遣組に気づいた寝そべり男は机から起き上がるとこの提案の責任者だと背景の説明をはじめた。はじめての大阪でやる気だけは溢れていたが、アサイン2日で筆者のすべての作業品質に疑問点があることを先輩達は見抜いていた。筆者が開いたファイルのインデントはことごとく破壊されていたためにルールブレイカーの称号を得た。特にやれることがなくなった私はひたすら業後の飲み会の場所を探し続け、予約した時間になっても先輩たちの仕事が終わらないため、30分単位で店に謝罪し、予約時間を遅らせてもらうことにその心血を注いだ。東京から大阪まで来たのに依然として私がやれることはバイトだった。学生のバイトでも流石にもう少し何かしらできたのではないかと今では思う。なぜか一番働いていないのに酒を飲まなければ自我を保てないので酒を煽り、翌日先輩達が働きはじめている中完全な寝坊をぶちかました。
大阪出張の目的であった提案書作成が一応の完成を見せた夜、東京へと向かう新幹線で宇多田ヒカルを聴きながら自分の不甲斐なさに泣いた。東京に戻ってからも毎日がただただ降ってくる仕事を終わらせ、酒を飲み、寝る。金曜日は午前5時まで飲み、土曜は夕方に起きて日曜は死んだように過ごし月曜から働く。社会は大変とは聞いていたがまさかこれほどとは...と呆然としているうちに季節はめぐった。
一年が経過した頃、隣のチームのシニアマネージャに議事録をヘルプで取るようにお願いされ、初めて出る会議の議事をとった。そのシニアマネージャは資料の日本語については極めて高い品質を求めることで知られていたため、一旦のドラフトを書き上げレビューに提出した時、かなりの修正量がやってくるものと予想していたが、書き上げた私の議事にコメントが入ることはなかった。「良く書けていた」のである。
一年間、膨大な時間を書けて培った基本動作は確実にコンサルタントの基本動作に変換されていることにその時初めて気がついた。このコンサルタントの基本動作、とはつまるところなんだったのであろうか。以降ではそれを振り返りたいと思う。
アナリスト編:アナリストに求められるものとは?
さて、アナリストをサバイバルするに必要な要素はコンサルタントのアイデンティティたる速度を構成する要素、即ち「当たり前のことを当たり前にできる」点に尽きると言える。
この点、筆者のように注意散漫な性格をしている人間、あるいは何かしらの一発逆転にすべてをかけようとする人間はアナリスト時代に非常に苦労することになる。
諸君らは幸か不幸かアナリストという最初のキャリアレベルから当業界で働くことになったわけであるが、結果として”新卒でコンサルティング会社でアナリストを経験したことがある人間”という十字架を背負うことになる。これが意味することは以下の「当たり前のこと」であり、また社内のマネージャレベルがアナリストに期待することも同じ点に集約される。
指示に対しての作業が迅速かつ正確である
プロジェクト進行におけるロジ(ファシリテーション)ができる
想定外に対してのエスカレーションがはやい
現場レイヤーのクライアント情報を解像度高く吸い上げることができる
No surprisesの徹底
一つ一つ見ていきたい。
指示に対しての作業が迅速かつ正確である
一般論として会社あるいはマネージャレベルがアナリストに対して作業の大方針の組み立てを求めることは少ない。それはマネージャあるいはシニアコンサルタントレベルの仕事であり、アナリストはそこから切り出された仕事をいかに正確に迅速に遂行できるか?が評価ポイントになる。ここでのキーワードはスピードと正確性である。
一つの作業ロットを2時間にする
まず諸君らにおいてはダラッと作業する癖を徹底的に排除する必要がある。それを可能にするために、1日の作業ロットを細かく分割することを推奨する。
例えば朝、何か上司から指示された場合、日を跨いで結果を見せるのは遅い。朝一であった場合、遅くとも午後一では上司に一度何かしらの作業進捗を見せるようなコミュニケーションを心がける必要がある。なぜか。まず作業が手戻るリスクを最小化するためである。万が一その日1日をかけて作業した内容が、まったく上司の意図と異なるものであったことが翌日明らかになった場合、もはやリカバリーすることが出来なくなってしまうからである。
まず2時間を一つの作業ロットとしたい。2時間、その中で何かしらのアウトプットが出せるかどうかを自分で考え、ひとまずそこまでの成果をぶつけるのである。作業を進める中で20分以上手が止まる場合は2時間を待たず、即エスカレーションすることを心がけたい。作業指示をもらった際に、あらかじめその日の中の中間チェックポイントを上司と設定しておくのが良いだろう。
20分考えて手が止まる場合は作業のやり方がイメージできていないことを意味する。作業の手順を具体的に指示するのは上司の仕事の一環でもあるので、その場合遠慮なくエスカレすること。結果としてその方が早く終わり、かつ諸君らの残業代が節約される分プロジェクトのファイナンスも改善する。これは立派な会社への貢献である。自分はどの作業がどれくらいのスピードでできるのか?を理解する
作業見積もりの精度を上げる必要がある。例えば1時間の会議の議事録であればどの程度で自分の納得いくレベルのドラフトを完成させることができるのか?課題のアップデート、進捗資料作成等であればどの程度でドラフトできるのか?この辺りの自分の出力時間をアナリストの1年目のうちに徹底的に感覚値として体に叩き込みたい。この感覚値は一生モノの技術となるため、はやめに体得することを推奨する。
はじめのうちは一つの作業を開始する時に、どれくらいの作業時間がかかりそうなのかを自分で予測した上で、実績をストップウォッチで計測するのが良い。おそらく予測時間を上回るのであるが、その後、どの手順や予定外のことがあったから予測時間を上回ったのかを振り返ることが重要である。予定外の手順を一つずつ予測時間に組み込んでいくことで諸君らの作業見積もりの精度は向上していくし、上司やクライアントに対して、なぜそんなに時間がかかるのか?という質問に対して明確な答えを持って切り返せるようになるのである。
作業時間の精度を把握しない限り、正しい作業見積りはできず、いつまでに終わるのか終わらないのかをコミットすることができない曖昧な社会人になってしまう可能性がある。これではいつまで経っても仕事を任せてもらうことはできない。「答え」を持っている人間の当たりをつける
少し乱暴な言い方であるが、諸君らコンサルタントに対して支援を依頼するクライアントというのは世界あるいは日本有数の大企業であることが多く、現代の大企業における経営アジェンダであったりDX文脈において今後実施しなければいけないテーマというのは自ずから似通ってくる。
そのため、諸君らコンサルタントがクライアントと議論しなければならないいわゆる論点であったり、提案することになるソリューションについてもある程度の体系化が可能であり、議論の”型”がなにかしら存在している。
そしてその各課題のテーマや提案テーマについて、その瞬間社内で最も詳しい人間、すなわち社内有識者がコンサルタント企業には存在する。例えば管理会計であればAさん、人事周りであればBさん、データ統合基盤であればCさん、ゼロトラストセキュリティであればDさん、といった形で、テーマ別に誰を議論に入れれば”会社としての”答えに辿り着けるのか?を日頃のネットワーキング活動等を通して事前に把握することで、諸君らが答えにたどり着くためのスピードも当然上がる。
有識者がどこにいるのかについては、社内勉強会であったり、会社の広報活動等で先進事例として紹介されている記事を誰が書いているのか?を意識することで比較的簡単にわかることである。
もちろん諸君らにおいてもクラアントのために自分自身の脳を限界まで使うことは必要になるのであるが、クライアントが求めているのはあくまでも諸君らが所属している”コンサルティング会社”としてのベストであり、諸君ら個人のベストではないということを忘れてはいけない。そのため、自分が所属しているプロジェクトのテーマに応じて、社内有識者の頭脳をフルで使用することがクライアントのために必要になる。諸君らが頭を使うべきは、誰をどの議論にどのように巻き込めばクライアントに会社全体として最も貢献することができるのか?である。"拠り所になる資料"を理解する
当たり前すぎてあまり誰も教えてくれないのであるが、プロジェクトはクライアントとの契約に基づき、指定されたスコープ、予算、納期が定義されている。そのため、自分が何をすればわからず手が止まってしまった時、大原則としてプロジェクトが全体として何ができれば良いのかはクライアントとの合意文書を読み込むことである程度想像・仮定をおくことができる。
どのプロジェクトにおいても必ず、仕様書と呼ばれるクライアントが発注先であるコンサル会社に何をして欲しいのかを取りまとめた文書と、提案書と呼ばれる、仕様書に対し、コンサル会社が何をするつもりなのかを具体化した文書は存在しており、コンサルがプロジェクトにおいてやることは原則としてすべてこれらの文書の記載に包含される。
包含されないことをやってしまった場合、厳密にはコンプライアンス的にアウトとなるため、建前上は必ずこの文書が作業の拠り所となる。これらの文書にはプロジェクトそのものの目的や背景などが通常記載されている物であるため、これらを読むことで、自身がやっている作業が何のためなのか?どこに向かっているのか、そしていつ頃までに終わっていなければいけないのかのあたりをつけることができ、それを知っていることは作業のスピードや確度に影響を与えるため、必ず読んでおくことが求められる。"成果物間のつながり"を理解する
あらゆる資料には文脈と前後関係が存在している。上述した提案書は仕様書と対応しているし、プロジェクトを通して作成するものは提案書に明記していある成果物一覧に紐づく。成果物間も基本的には何かしらの前後関係があるはずであり、Bという成果物はAという成果物をインプットとしているしBはCのインプットとなる。
そのため、資料間には必ずキー(両者を紐づける情報)が存在しているため、それを意識して資料を読み、かつ資料を作成するときはこのキーを壊さずに作業を進めることが求められる。
資料間の関連が頭に入ると、何か情報が必要となった時に、どこにアクセスすれば欲しい情報が手に入るのかがわかるため、これらはプロジェクト参画後、2週間以内には理解しておきたいところである。