着色のいらない

おれは芒を持って走る。童のように、黒々とした野を駆ける。
覚えもないのに郷愁を感じるのは、もうおれしかいないから。もうこれは、どうしようもなくって、どうでもよくなってきたから。それでも走る。
本当は、この穂ひとつひとつに言葉が込められていたのだ。今はすべて燃え、焦げ、青い煙を黒い空にたなびかせている。もう何の役にも立たないのに、すがるように掴んではためかせている。
父よ、母よ、さようなら。存在しない両親に、今生の別れを告げる。水槽の中で生まれたおれたちは、けれどこの世には父母というものがあるのだと教えてもらった。この世には、そんなに温かなものがある。それだけでおれたちには充分だった。
暗闇に鮮やかな朱色が走る。のっぺりと空を塗る。あれはいけないものだ、左手で口を塞ぐ。呻き声が聞こえる、きっと草の波の間にまだ息のあったものがいたのだろう、それもこれで潰える。本当はおれが守るはずだったもの、生き物。さようなら。何の役にも立たなかったおれも、もうすぐさようなら。流れる涙が朱色に染まってきた気配がする、朱色は歓迎と楽しみの色、体の中に忍び寄る。
手で塞いだって、当然なんの意味もなく、突然暴力的なおかしさが湧いてきた。ああ、たのしい、たのしい、ようこそいらっしゃいました、彼方からの攻撃!あなたとても美しいですね、さすがみんなをバラバラにしたもの、ああ素晴らしい、ああ苦しい、悲しい、悔しい、ああうきうきする!体の中で暴れまわるすべてが、その波が、落差の激しさで胸を左右に割り開いていく。
おれに言葉はもう出せない。けれど、少しでも色を寄せ付けないように育てられたのに何も意味がなかっただなんて、愛するすべてに申し訳がなくて、せめてせめてと、マスクを外す。すっかりそこは緑色だけれど、芒をつっこみ、何かが出るように掻き回す。
ふら、ふら、と歩く、その足の前。
一面の、銀杏の葉が白々と燃えていた。

(続く)

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