※個人の感想です(G)
ブンゲイファイトクラブGグループの感想
ミッション
内容の過不足がなく完璧に思える。横断歩道の白いとこだけ踏む、みたいな願掛けを大袈裟にしたような話。冒頭の自分実況も妙な共感があって面白い。主人公のキャラクターも独特で、結末は薄暗い雨の中に青騎士の青色が少しの不気味さと狂気とを含んで浮かび上がるイメージを持ち、それは序盤からの主人公のキャラクターと違和感なく馴染むものだった。読んでいて楽しく、結末もうまくて、この長さの掌編小説としての完成度がとても高いと思った。
メイク・ビリーヴ
Dグループの字虫という作品で、文字のもつ霊力について触れられていたが、この作品はそれでいうと言葉のもつ魔力みたいなものを感じた。テプラで貼る場所に名前が付いたような、その響きよる面白さや、意図せず目に入ってくる言葉にふっと救われるような、そんなニュアンスを感じて、春と修羅を読んでみようと思った。母親の靴にはベガやアルタイルだったら怒られなかったのかも。だってデネブは白鳥のお尻で、何だか語感が不細工だから、とかなんとか。
茶畑と絵画
俺、という主人公の日常を詠んだ短歌に思える。平穏な日常にアウトサイダーな空気が混ざっているように感じた。アウトサイダーというのだろうか、アウトローというのだろうか、デカダンスだろうか、しかし仕上がりはユーモラスなのだ。何と言えばいいのか分からない魅力がある。
ある書物が死ぬときに語ること
本目線での作品。こういう人以外のものの目線で書かれている話は、そのものの世界独自の設定が面白くて、例えば校閲らしきところで自我が生まれることであったり、本たちは自分の物語を聞かせるおしゃべりであったりするところだ。伊坂幸太郎のガソリン生活や、宮部みゆきの長い殺人なんかを思い出す。冒頭から、同じ物語の本には共通の自我があるのかと思ったが、一冊の本として一つの自我があるのだろうか、その辺りが本筋には関係ないけど少し疑問だった。老人たちは若者のようだった、というところから、登場人物たちは若い頃から本が好きだったことが分かり、作品を通して本への愛が伝わってきた。最後は示唆的に書かれているが、Jの死とともに本のわたしも光になったのだと思った。
echo
とても興味深い設定で、もっと深く掘り下げて、長い話で読みたいと思った。エレクトリックで退廃的な世界観。人間の欲望を効率的に放電する消化器官、これが概念猿のことだろうか。概念猿は生態系の頂点に君臨する、人間の言葉を捕食する、しかしそれはデータでもよくて、データとして人間の余剰な欲望を消化させることが、人類にとって極めて重要である。こんなところだろうか、なぜそれが極めて重要なのか、都市の背中から溢れた欲望とは何か、放電されないとどうなるのか、データセンターの事故は陰謀のように示唆されていたが、誰が何の目的で行ったのか、Fがやったのだろうか、タイトルのecho、概念谷に反響しているのは何なのだろうか。もっとつまびらかに紐解いて欲しいと思わせる作品だった。人類の何か過剰なところを食ってくれる存在が必要だ、そんな感じを受けた。
かなり迷うが推しはミッションかなと思う。掌編となると読者の想像力や感受性に任せるところが、良くも悪くも多いけれど、字数が少なくてそうなるのか、それがベストな構成なのか、ということを考えさせられた。