MRIの中で息ができなくなっちゃった。 数十年ぶりだったのでショックでした。 一般的な暮らしに向けて、多少なりとも進んでいると思っていたから。 少しづつを毎日続けるしかないんだよね。 わかってるよ。 いつもよりかは動いたから、疲れてよーく眠れるかな。 楽しみだ。 誰の上にも優しい夜が来ますように。
かなりへばっている。 数年ぶりかもしれない。 結構な日にち風呂にも入れず。 暗闇にへたりこんでいた。 これが書けるということは少し闇が晴れてきたんだろう。 また、ミリ単位の歩みが始まる。
春だからなのか、この年齢だからなのか、原因不明なのか、 変に足に力が入ります。 緊張という感じです。 そうするのが楽なんだけど辛い。 ずっと足が緊張してる。 ラツーダ(躁鬱の薬)を2錠に増やしてから、途中、コロナに罹患して治ってからの、この変な感じ。 寝る前には頭にいろんな感情が走り賑やかだし、本当にしんどい、辛い。 薬?コロナ?季節? 最初に戻ります、堂々巡りです。 薬を元にもどしてみよう。。。 この感じを分からないで当然です。 それでいいんです。 ですが、こんな人間も
とぎれました。 はい、調子くずしました。 根性ないからでしょーと言われます。 いやいや、気持ちを脳全体から否定される感覚、味わったことおあり? 悔しいけども負ける時が多々です。 脳に負けんなって振り切るときも有りますができんときもあるんです。 弱さでしかないんじゃないかって抵抗したときは鬱が超ひどくなり寝込みましたし、これで考え方は良しと自分は思ってます。
学年が進み担任も変わり。 私は良いところのお嬢様で戦争も経験してきたわ。 生活水準が私に合わない人はカス。 でも、親の前ではよい顔しかしないわ、だって社交術じゃないww って方が担任になり暗黒時代が到来します。 私自身が孤軍奮闘していた中、気に入らないこともたくさんしてしまってようで。。でもね、そこから我が家のそれも親の生活水準云々をみんなの前で悪く言うのは違うと思いますがいかがかしら。 話してみたいけど、もういないでしょうね。 心臓が痛くて。動悸も酷くて。 親に言うと
時は遡り、遡り。 昭和50年代に戻ります。 水疱瘡。 一週間ほど学校を休んだでしょうか。 なかなかの鼻もちならない子どもだった私(万能感を持っていた(--;)。さー、学校だ!と息巻いて登校したものの、あれ?? 人って、あれ??付き合い方が全く分からない!え?え? 驚き、迷っている間に友達はいなくなるし、孤立するし、全てが色あせた。 なんで?? 訳のわからないまま日々を過ごすものの、帰る家は両親が不仲。 不仲な夫婦の母親がよくやる、子を味方にしておくための父親へのネガティブ
ぼちぼちしか書けないんですが、本当に少しづつで^^; もう少し量は書けるようにしましょう。 内心の吐露は置いといて。 ここから少し時間がたちまして、大きな病院へ行きました。 診察ではここまでのずぼら生活を埋めるように事細かな問診。 問われるがままに答えながら、諦めが支配していた世界で過ごした日々を思いつつ、もう一度の生きなおしの機会をもらえたのかもと考えたり。 気持ちが勢いよく動き出した時間でもありました。 B型慢性肝炎とのお付き合いが始まりました。 毎朝、食事直後のお薬
年末、熱を出しました。 簡易検査では陰性、普通に体調崩した、はたまた風邪ひいた? などと思いつつ新年早々内科を受診。 市民検診等で健康診断は受けていたものの、肝臓はほたらかしー。 一番あかんやつです、ほたらかしー。 内科の先生に血液からの肝臓検査もお願いし、エコーから「脂肪肝」のお言葉も頂戴し、あかんことだらけの内科受診でした。 大いに反省してますんで、はい、本当に。 血液検査、ことのほか状態が悪く、大きな病院へ紹介状を頂いて行くことに。
B型肝炎、ご存じですか? 私の体内にいるウイルスです。 躁鬱の話はまた後で(^^) 中にいるのがわかったのは20代の妊娠検査時。 「感染するので同じ歯磨きブラシは使わないで。」 が医者からもらった気を付けること、だったでしょうか。 そのことをその時の夫に伝えたところ、自分はずっと健康診断してきているから自分が感染させたわけじゃないと自信満々に言うてたかと。 一般的な検査項目には無いはずなんですけどww 子どもは陰性。 説明も何も無いままワクチン的なものも接種されており、