欲望と欺瞞【後編】
「嘘の極み…『偽りだらけの理想郷(フェイク・パラダイス)』…」
ーー嘘の極み…聞いたことのない極みだ…少し様子を見るか
「ここだと少し狭いですね、場所を変えましょうか…“場面転換”」
そう言うとヘルメスは指をパチンと鳴らす。
その瞬間、周りの風景が路地裏からだだっ広い荒野へと変化する。
ーー瞬間移動したのか…これが奴の能力か…?
「場所を変えたところで、そんなボロボロの状態じゃ戦えないんじゃないか?」
ファブナーは警戒を続けながらヘルメスに問いかける。
「“修復化粧(メイクアップヒーリング)” ご心配なく、すぐ治りますから」
ヘルメスは笑顔で答える。するとヘルメスが負った傷がみるみるうちに治ってゆき、ものの数秒で無傷の状態になった。
「…傷が治っただと…?」
「驚くのはまだ早いですよ、ファブナーさん。“大地割れ(クラック)”」
ヘルメスはさらに指を鳴らす。すると、それに呼応するように大地が割れ、ファブナーを飲み込もうとする。
「おいおい、冗談だろ…!」
ファブナーはギリギリのところで跳び、なんとか飲み込まれるのを回避する。
「欲の極み『堕神礼賛』:馘首…!」
跳びながらファブナーは紙幣をばらまく。ばらまかれた紙幣たちはヘルメスの首を切り落とさんと凄まじい速度で飛んでいく。
「クフフ、そんな攻撃無駄ですよ…“大洪水(フラッド)”」
ヘルメスは手を前に伸ばす、すると今度はヘルメスの足元から大量の水がわき上がり紙幣を押し流す。
「…ならこれはどうだ」
ファブナーは欲望で自身の身体能力を向上させて高く跳び、空中からヘルメスに踵落としを浴びせる。
「クフフッ打撃も無意味ですよ、“身体硬化(ビーメタル)”」
ヘルメスはファブナーの踵落としを片腕で受け止め、ニヤリと笑う。
「…笑うのはこいつを食らった後にしやがれ 欲の極み『堕神礼賛』:壊楽」
その瞬間、ファブナーの足に黒い欲望が集まり、轟音を伴う大爆発を起こす。あたりには大きな砂煙が立ち上ぼる。
「これでくたばってくれるなら楽なんだがな…」
ファブナーは少し離れた場所で様子を見る、しばらくすると砂煙は晴れた。
「チッ、ゴキブリ並みの生命力だな」
「クフフ、惜しかったですね。もう少し威力があれば私に傷を負わせられたのに」
ヘルメスは服が少し焦げた程度で、ほぼ無傷の状態でそこにいた。
ーーくそ…何がどうなってやがる…こいつの極みは一体何なんだ…
「おや、来ないんですか? ならこちらから行きますね」
ヘルメスは右手を天にかざし、呟く。
「“霹靂(サンダークラップ)”」
その言葉と共にヘルメスの頭上に雷雲が立ち込め、何本もの雷がファブナーめがけて落ちる。
「グッ…!」
ファブナーは瞬時に金貨を空高く投げあげて避雷針の代わりとするが、全ては防ぎきれず苦悶の声をあげる。
「クフフ、そろそろ限界ですか?」
「…笑わせんな、まだまだ余裕だよ」
ーーこのままじゃジリ貧だな…何かないのか、逆転の糸口は……くそ、あいつの気持ちの悪い波動が思考を邪魔する………ん?……波動…?
「…そういうことか」
長考の末、ファブナーの顔に自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「こっからは俺のターンだ」
ファブナーはヘルメスに向かって走り出す。
「おやおや、正面から突っ込んで来るとは…血迷いましたか。 “獣の行進(マーチング・ビースト)”」
ヘルメスは両手を広げる。するとどこからともなく狼の群れが現れファブナーに襲いかかる。
「彼を食い殺しなさい」
「グルルル…ヴァウッヴァウッ!」
迫り来る狼の群れに、ファブナーは速度を落とすことなく突っ込む。
「雑魚どもに用はねぇ、おとなしく寝てろ。欲の極み『堕神礼賛』:遊冶懶惰(ゆうやらんだ)」
ファブナーは狼たちに対して大量の金貨をばらまく。
「ヴァウッヴァウッ……クゥーン…」
金貨に触れた狼たちは金貨に戦闘意欲を吸いとられ次々とその場に伏していく。
「次はお前だ、ヘルメス」
「おや、大した自信だ。何か秘策でも?」
ヘルメスはケラケラと笑う。
「さぁ、どうだろうな」
ヘルメスに近づいたファブナーは右の拳を振り上げる。
「芸がないですね、“身…」
ヘルメスが言いきるより早く、ファブナーは拳で地面を殴る。衝撃と共に大量の砂があたりに飛び散り、ヘルメスの顔に直撃する。
「ぐわっ…!」
目や口に砂が入ったヘルメスは思わずひるむ。
ファブナーはその隙を見逃さず、ヘルメスの後ろに回り込む。
「欲の極み『堕神礼賛』:壊楽…!」
ファブナーの欲を纏った蹴りがヘルメスの背を捉え、再び大爆発が起こる。
煙が晴れると、そこにはボロボロになり地面に這いつくばるヘルメスの姿があった。
「ようやくわかったぜ、お前の極みの能力」
ファブナーはヘルメスの体を足で仰向けに返し、喉を踏みつけて見下ろしながら言葉を続ける。
「最初はお前の起こす天変地異に気を取られて気づかなかったが、冷静になれば嫌でも気づく、体に纏わりつくこの気持ちの悪い波動にな」
「波動ってのは極みの所有者から発せられる気だ、大きさにもよるが当然距離をとれば感じとれなくなる。だがお前の波動はどうだ?どれだけ距離をとろうと逆にどれだけ近づこうと感じとれる波動の大きさに全く変化がない。まるで“密室の中にお前の波動が充満してる”みてぇだ」
「つまり、お前の極みは特殊な空間を生み出すもの、そしてこの空間内では全てがお前の思い通りになる、そうだろう?」
「……!」
「返答はなしか。まぁいい、続けるぞ」
喉を圧迫され続けているヘルメスは苦しそうな表情を見せる、しかしファブナーはお構いなしで話続ける。
「だが望みは一回一回口に出さなきゃいけねぇみたいだな。だからさっきは効かなかった壊楽も今は効いてる。つまり、言葉さえ封じればお前は無力、ゴミ同然だ」
そこでファブナーはヘルメスを踏む足にさらに力を入れる。
「さて、長々と悪かったな。今楽にしてやる」
「…カ…カハッ…」
さらに強く喉を圧迫されたヘルメスは苦しそうにもがく。
ファブナーの勝利かと思われたその時、ヘルメスは懐から手のひらに収まるほどの大きさの球体を取り出し、地面に叩きつける。
カッッッ!
耳をつんざくような音と共に目を潰さんばかりの閃光があたりを包む。
「くっ…目眩ましか…!」
突然の閃光にファブナーは目を押さえ、喉を踏む足の力が弱まる。その隙にヘルメスは足から抜け出した。
「チッ、どこに行った…!」
光によって朦朧とした視界のなか、ファブナーはヘルメスを探す。すると一つの人影を見つけた。
「見つけた、次こそ仕留める…」
視界が少しずつ回復し、人影も少しずつ鮮明になっていく。
「……おい…嘘だろ…?」
ファブナーの見つけた人影はヘルメスではなく一人の女性だった。長い髪をなびかせ、強さと凛々しさを感じさせる美しい女性、ファブナーにはその女性に見覚えがあった。
「……エリス…」
エリス、それはかつてファブナーが恋に落ち、死によって結ばれることが叶わなかった女性だ。
「ファブナーさん…また逢えて嬉しい」
エリスは昔と変わらぬ姿で昔と変わらぬ笑顔をファブナーに向ける、それはファブナーにエリスと過ごした日々を嫌でも思い起こさせた。
ファブナーはフラフラと近づき、エリスの頬に手をのばす。
その時だった。
「続きはあの世でしてください」
ファブナーの背後の何もない空間から突然現れたヘルメスがファブナーめがけてナイフを振り下ろす。
「…嘗めるなよ、三流ペテン師が」
ファブナーはエリスに伸ばした手を握りしめると、その手を後ろへと振り抜く。
バキィッ!
ファブナーの裏拳はヘルメスの顎に命中し、ヘルメスは膝から崩れ落ちる。
「エリスの幻で俺の気を引いて後ろから奇襲…いかにも卑怯者が使いそうな手だ。起死回生のつもりだったんだろうが、俺には通用しねぇ」
ファブナーはヘルメスの首を掴むとそのまま持ち上げる。
「…エリスを汚すな」
その怒気を含んだ言葉と共に、ファブナーはヘルメスから欲を吸いとり始める。
「………こ…こまで…」
「あぁ、お前の命もここまでだ。せいぜい無様に死にやがれ」
「…ここ…まで…」
その瞬間、ヘルメスの口角がつり上がる。
「…ここまで綺麗に引っ掛かってくれるとは」
グサッ…
鈍い音と共にファブナーの背にナイフが突き立てられる。
そのナイフを握っていたのはエリスだ。
「感動の再開、お気に召しませんでしたか?」
その言葉と共にエリスの姿はヘルメスの姿へと変化し、ファブナーがつかんでいたヘルメスの体は塵となって消えた。
「…コフッ」
ファブナーは背中と口からも血を流しながらその場に膝をつく。
「クフフッ詰めが甘かったですね、ファブナーさん」
ヘルメスは血に濡れたナイフを弄びながら言葉を続ける。
「幻で気を引いて後ろから奇襲、それは正解です。ただあなたは誰が幻なのかを見誤ってしまった」
「あの女性、エリスでしたっけ? よほど大切な人だったんですね、動揺したふりをして隠してましたが、怒りの色が滲んでましたよ?」
「私を追い詰めたという優越感に大切な人を利用された怒り、冷静さを失ったあなたは目の前の私を幻だと信じて疑わなかった」
「感謝していますよ、私を幻だと、“追い詰められた卑怯者”だと信じてくれて。おかげで全てがうまくいきました」
「…わかりますか、ファブナーさん」
そこでヘルメスはファブナーの耳元に顔を寄せる。
「私を信じたあなたの負けです」
「へ…ヘルメス…!」
「ごきげんよう、ファブナーさん」
ザクッ……
ヘルメスのナイフはファブナーの喉を切り裂き、ファブナーは鮮血を吹き出しながらうつ伏せに倒れる。
「“場面転換(シーンチェンジ)”」
ヘルメスはパチンと指を鳴らす、すると景色が荒野から路地裏に変化していく。
「やれやれ、波動の量ですか…こればっかりはどうにもできないんですよね…まぁ、今回はそれが功を奏しましたが」
ヘルメスは独り言を言いながら、倒れているファブナーに背を向けて去ろうとする。
「……おい、待てよ」
「…へ?」
後ろから声をかけられたヘルメスは振り返る。
そこにいたのは右手を振り上げたファブナーだった。
「ば、馬鹿な…あなたは…!」
「…どうした? “俺が死んだ”と信じちまったか?」
ファブナーの右手に欲望が纏わりつき獣の顎のように変化する。
「欲の極み『堕神礼賛』:餓狼之口…!」
獣の顎は振り下ろされる右手に従い、ヘルメスの体を大きく食いちぎる。
「………!」
ヘルメスはその場に崩れ落ち、動かなくなった。ファブナーもその場に座り込む。
「…まさか、奥の手を使う羽目になるとはな」
ー遡ること数時間前…
「本当にファブナー様一人で行かれるのですか?」
ファブナーの執務室で、黒いスーツに灰色の髪をした少年、カイナは心配そうな顔でファブナーに問いかける。
「あぁ、相手は一人みたいだし、俺が直々に行って始末してくる」
「そうですか…」
「相変わらず心配性だな、まぁ、今回はちょうどいいな」
ファブナーはカイナの胸に手をあて、そこからドロドロとした塊を取り出す。
「念には念を、それがビジネスの鉄則だ。お前のその欲をお守り代わりに持っていくことにするよ」
こうして、ファブナーはカイナから“ファブナーに無事に帰って来てほしい”という欲を抽出し、持っていくことにしたのだ。
ー現在
「つまり、はじめから俺の勝利は約束されてたってことだ…情けねぇ話だがな」
ファブナーは動かなくなったヘルメスを眺めながら呟いた。
それからひと月が過ぎた。
「…まだ少し痛むな」
執務室でファブナーは背中を抑えながら呟く。
カイナの欲で命こそ繋いだが、ヘルメスとの戦いで負った傷は相当に深く、今だに完治していない。欲を使って治すこともできるが、油断した自分への戒めとしてあえて行わないようにしていた。
「まぁ、イカサマが減ったことを考えればこんなケガ安いもんか…」
その時、ノックと共にカイナが部屋に入ってくる。
「失礼します、ファブナー様宛に書状が届きました」
「書状? 誰からだ?」
「それが、差出人が不明で…」
「…わかった、見せてみろ」
ファブナーはカイナから書状を受け取ると開いてなかを見る。
『親愛なるファブナー様 あの時は楽しませていただきました、またお会いしましょう。 p.s.イカサマ教室は惜しまれつつ閉店いたしました。』
ーーまさか、あいつ…
ファブナーは頭を抱え深いため息をつく。
「…二度とごめんだよ、イカサマ野郎」
同時刻、ルピナス内にて
「私の手紙、届いたでしょうか? クフフ…」
金髪のその男は笑い声と共に人混みへと消えていった。そしてルピナスに現れることは二度となかった。