「生理は"個性"」で『生理が無い人』はもっと生きやすくなるのだろうか
先日より花王の「kosei-ful」プロジェクトが炎上している。
自分はこういう女性を応援してくれるプロジェクト自体はすごくありがたいと思っており、何事も最初から上手くいくものではないので始まって早々否定するのはしないようにしているのだが、今回のプロジェクトは的外れに感じたので、備忘録代わりに書いていく。
初見の感想
このTweetを見てすぐに感じたのが、
生理が無い人は「生理は個性」と言われて受け止められるのだろうか?
また、もっと生きやすくなるのだろうか?
ということである。
もし生理が無い人たちが「え、私たち?」と思ってしまうのであれば、このプロジェクトは失敗なのではないかなと思った。
実際にkosei-fulプロジェクトの冒頭の文章見ると
どうやらまさに女性(生理がある人)の人間関係を見直したプロジェクトであるらしい。
もし女性だけがターゲットなのであれば
生理がある人同士でケアし合ってと言われているようであり、
生理がある人たちの間ではもっと生きやすくなるという非常に限定的な話に感じる。
自分の人生を振り返ると
生理が無い人の方が多く占めていた、もしくは生理がある人と同人数のコミュニティ(会社、サロン、趣味部)で長い時間生きてきた。
だからなのかこのプロジェクトが想像している生きやすさというのがどこでどう適応されるのか全く想像できない、的外れに感じるのである。
結局は生理がある人たちと、…ではなく
生理が無い人たちと一緒の社会でどうやって「生理」という生物現象を受け入れて、もっと生きやすくなるかということである。
生理の無い人たちが、
体験できないからこそどうやって接すればいいのか分からないという困惑
生理のある人が
そういった困惑を相手に与えるという負い目を感じさせずに、
いかに自分の生理をそれこそ個性の様に伝えられるか
ということなのかなと、
「もっと生きやすくなる」という言葉と自分の人生と照らし合わせながら感じた。
「生理は個性で定期的に○○になります」と言って、
会社は採用してくれるのだろうか?
相手は私をポジティブなニュアンスで受け止めてくれるのだろうか?
自分は生理中に逃したチャンスや、失敗したことを笑って過ごせるのだろうか?
生理は身体機能でなくせるモノではない為、必要以上にネガティブにとらえる必要も無いが、あまりにも「生理は個性」という言葉からのイメージとは違い過ぎる。
※下山田さんの言葉に共感したので添付
生理で生きづらいなと思うとき
・機嫌が悪いと「今日は生理か?」と生理かどうか関係なく茶化されるとき、また茶化されている様子を見るとき
※これを言われるとき面白く感じれず、
尚且つ(面白いを抜きにしても)滅茶苦茶返答に困るのは私だけだろうか…
・生理を表立って言わないのがマナーという社会の空気
・生理習慣から妊娠可能日が算出でき、
この社会にある性犯罪から結局リスクを考えて自分の生理について具体的に言えないとき
最後にぽつぽつと
このプロジェクトについて肯定的にとらえると
もしかしたらまずは生理がある人同士の結託を固めて、徐々にその活動を大きくしようとしたのではないか
とか思ったりはする。
冒頭に書いた通りプロジェクトはいきなり上手くいくものではないので応援したい。
ただ方向性をもしこのままでいこうと思っているのであれば考え直してほしいな。
「生理」というものがもっと無機質に、当たり前に存在するという思考で社会がデザインされたら良いなと思う。